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ンゴニの師 ババ

前回のンゴニのお話の続き。思い出ね。

バレー団でバラフォンを叩いていた時には、そんな事あまり感じなかったが、こう目の前にしてみるとババはギニア人には珍しく小柄な男性だった。
そして彼から手渡されたンゴニもそれまで見知っていたンゴニよりも小柄で丁寧に作られていた。
バラフォンの木にペグではなく、巻き付けられたロープで8本のテグスを固定しただけのシンプルでアコースティックな楽器だったが、予想以上に大きな音、共鳴帯のカラバスの微妙な倍音が響き、無意識に弦を弾いているだけで、一気にこの楽器の虜になってしまった。
そしてこの日からババとのレッスンが始まった。
練習場所はこれまた小さなババの寝室の半分以上を締めている大きなベットの上。
午後、ババはバレエの練習、僕はジャンベの練習があったのでンゴニのレッスンは毎日朝に行われた。
ババは元々グリオの家系で、バラフォン、コラ、ジェリンゴニといったメロディー楽器を演奏する。ジェリンゴニとは、開放弦のカメレンゴニと違ってギターのようにフレットを押さえて演奏される。ババはコナクリでこのジェリンゴニを弾ける人は非常に少なく、自分も含めて5人くらいだと言っていた。(真相は??)
レッスン中のババはこのジェリンゴニのメロディーをカメレンゴニに置き換えて教えてくれた。しかし作り立てのンゴニは皮やテグスのテンションが不安定で、全体のチューニングバランスが整うのに時間がかかる。(湿度や温度、朝タクシーでババの家に行く間にズレてしまう)時にはレッスンの半分以上の時間をかけてチューニングする事もあった。
それでも毎朝、朝日に背を押されババの待つベットに向かい、帰国までに10曲ほど教えてもらう。ババはコナクリ在住のマリンケ族の人間だからマリンケ語もスス語も話す。そして彼の教えてくれる曲も、歌によって言葉が変わったりもした。マリンケ発祥の楽器だけあってマリンケの唄にはどこか古く、歴史的な歌詞や響きがある。逆にスス語の曲は新しく、日常的な歌詞が多い。
夜、覚えたての曲の練習をしていると、自分の意とは思えないメロディーが浮かんできたり、隣にいた友達が即興で唄を乗せてくれたり、逆に日本語の歌詞を付けてみたり、リズム的な発想で色々遊んでいた。
「何だ思えばメロディーもリズムの一部なんだな」と、どこか敬遠していたメロディーの世界への興味が一気にわいてきた。
ンゴニやババと会えて良かった。


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