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2月, 2019の投稿を表示しています

3月の予定

3月に入りました!春も、もう目の前でございます。 私事ではありますが、この春から長女が小学校に上がる年齢になりました。 彼女の誕生と同時に、今の生き方を選択して早6年! 急成長する娘に負けてはいられません。今月も向上していきます! ワークショップ  オープンクラス(只今みんなでドゥンドゥンバ挑戦クラスとなっております) 3月 2日(土)19:00〜22:00 @ 片瀬 3月 9日(土)19:00〜22:00 @ 村岡 3月16日(土)19:00〜22:00 @ 片瀬 3月23日(土)19:00〜22:00 @ 片瀬 3月30日(土)19:00〜22:00 @ 片瀬 プログレスクラス(汗水流してカワデニ中) 3月 4日(月)19:15〜22:00 @ 六会 3月11日(月)19:15〜22:00 @ 六会 3月25日(月)19:15〜22:00 @ 六会 ンゴニクラス(アフリカンハープを楽しもう) 3月12日(火)19:30〜22:00 @ 善行 3月26日(火)19:30〜22:00 @ 善行 ペティクラス(カサを研究中!) 3月 7日(木)11:00〜14:00 @ 村岡 3月14日(木)11:00〜14:00 @ 村岡 3月21日(木)11:00〜14:00 @ 六会 3月28日(木)11:00〜14:00 @ 片瀬しおさい トライアルクラス(フェフォに挑戦中!!) 3月 4日(月)11:00〜14:00 @ 六会 3月11日(月)11:00〜14:00 @ 六会 3月18日(月)11:00〜14:00 @ 親水公園(雨天中止) 3月25日(月)11:00〜14:00 @ 六会 ライブ・イベント 3月20日(水) 子ども医療センター「KOKO KARA」コンサート。 ※こちらは病院利用者に対してのコンサートとなっております。 3月21日(木) Sinsimba & バンサンボゴラ live  吉祥寺Baobab  african jazz と african comic が吉祥寺の南国、バオバブに集結! 今月も宜しくお願いします!

平和と調和

「平和と調和、それは似て非なるもの」 いきなりですが、今日は平和と調和について語りたいなと。。 漠然とではあるが「平和」と言う言葉には安心感がある。 シンボルマークはご存知、鳩の足から形取られたピースマーク。 「love&peace」を掲げていた60年代カウンター文化からの名残は、 その後の時代の音楽や映画にも多くの影響を及ぼし、 僕らにとって「平和」や「PEACE」と言う言葉は、身近な表現になった。 しかし、2019年になっても、依然としてその実現は難しい。。。 逆に「調和」は僕にとってあまり馴染みのない表現だった。 シンボルマークは陰陽を現したタオとも呼ばれるこのマーク。 少林寺拳法や、映画キョンシーの中にも描かれていたから、 なんとなくアジア的なイメージのあるマークだけど、 その意味の「調和」と言う言葉を感じて、使うようになったのは、 やはりジャンベ音楽から。 特に誰かと奏でるアンサンブルは「調和」と言う表現がしっくりくる。 そもそも「平和」や「調和」と言う言葉の意味とは?と思い、 ネットで調べると 「 平和 」は、 「 戦争や内戦で社会が乱れていない状態 」の事で、 「 穏やかに、和らぐ、静かで、のどかである 」様とも表現される。 「 調和 」とは? 「 全体が具合よくつりあい、整っている事 」 「 矛盾や衝突がなく、まとまっている事 」とある。 ここで、気付くことが一つ。 「 平和 」は「戦争」が前提としてある言葉ということ。 なるほど、この言葉が叫ばれた時代というのは、 確かに今以上に未知なる戦争の脅威に晒されていた。 混沌とした戦争の時代。その先の光が「平和」だったんだと思う。 しかし「光」があるから、「闇」があるように、実は 「平和」があるから、「戦争」があるとも言えてしまうのだ。 対極して存在することで語られる言葉は二元論と呼ばれ、 会話は考え方にとって「便利」ではあるが、 その視野は二つの点が繋がった「平面的」なモノなので、 それを「立体的」に絡み合う現実世界に当てはめようとしても どこかしっくりこない場所(しわ寄せ)が現れてしまう。 「平和」は人間が作った概

子ども達と唄作り③

このブログで少しづつですが、子ども達との活動を紹介して来ましたが、 歌作りに対して、予想以上の方の声と関心が集まったこと嬉しく思います。 まずは訂正と報告なのですが、以前「全国放送」と書いてしまいましたが、 正しくは 「首都圏ネットワーク」 なので、関東近郊の放送だそうです。  そして放送日が決定しました。 2月19(火)18:10〜 NHK総合 (場合によっては延期の可能性もある) ニュースの途中に出る、5分くらいの短編ドキュメントだそうです。  自分の活動のイレギュラー的な部分ではありますが、放送が楽しみです。 さて、昨日、無事に発表会を終えることが出来ました。 子ども達と、歌の練習から、構成の確認、カメラリハーサルをして、本番は 藤沢の善行に全国から集まった、教育関係の偉い人達100人くらいに向け、 唄を届けることができた。普段なら疲れてしまう子達も頑張って、 「最後まで、みんなと一緒の空間で歌おう」 って気持ちが伝わって来ました。  今回は、歌の発表と同時に、病院内でアンケートをとっていた「曲名」も 決定しました(この期間中アンケートを3回もしてくてた友人もいました)。 生徒も先生も、僕自身もその結果を知らない中、曲名が発表され 「 KOKO KARA 」と言う、ローマ字表記の「ここから」と言う曲になりました。 今回の発表会はある意味、スタートラインで、ある意味ゴールライン。 捉え方によっては、どちらにもなりうる。と言うのも、 学校社会は、4月始まりの年度式に動いており、4月から色々と変わるのである。 いわゆる大人の事情ってやつで、担当の先生が移動になると、プロジェクト そのものが消滅するなんてこともあったり、僕自身、学校の40周年と言う節目で 「唄を作ろう」と呼んでもらい、こうゆう活動ができてるわけで。 しかも、3年前から文科省と研究して来た「遠隔授業」の研究発表。 だから、今回の発表会は学校にとって意味のあるゴール的なイベントなのです。 しかしながら、どうしてもミュージシャン目線で見てしまう自分がいる。 ①曲を作って②バンドメンバーと曲を共有し③練習し ④アレンジし⑤ライブし⑥試行錯誤して ⑦「誰かの心に届ける事が

子ども達と唄作り②

 さて、横浜南養護学校の生徒達と一緒に歌作りをする事になったのだが、 3クラス3様のドラマがあり(中学部を入れると4クラス)、 それぞれの想いを引き出し、それをまとめて一つの曲にするというのは、 なかなか時間と根気のいる作業に思えた。 それに今回の唄作りのゴールは単に、 子供達の書いた詩に「曲を付ける」という単純なものではなかった。  3年前から文部科学省が推奨しているネットシステムを使った遠隔教育。 その研究発表のテーマの一つの結果として「この唄を発表する」という。  発表は2019年、2月15日。となると締め切りは2018年中となる。  しかし実質動き出したのは、8月。 夏休み中に、教員向けジャンベワークをやらせてもらった事を機に始動。 各クラスに挨拶がてらの授業をする。 「アラカリ」がどうゆう人間で、どうやってここまでたどり着いたかを話した。 幼少時代に音楽のテストで0点取ったことや、アフリカのこと、遠い国のこと、 刺激的かな?と思いつつも、「今を生きる大切さ」についても話させてもらった。 それぞれがどう感じたかは分からないけど、距離は縮まった気がする。  重心クラスには演奏授業をしにいった。 色んな音を聞かせたくて、普段使わない自宅の色んな楽器を持って行って、 聞いてもらった。初めて行った時には分からなかったけど、観察してみると、 ちゃんと音に反応して、表情が変わるのがわかった。ンゴニを直接身体に当てて、 振動そのものを伝えると、あからさまに「伝わった」って表情になる。 色んなミュージシャンがここを訪れられたら、両者にとっていいなと思った。 (社会がそこに価値を見出してくれれば、ミュージシャンの一つの仕事にもなる)  そのうち、うちのパソコンと学校をネットでつないで遠隔授業を行うため、 先生が自宅に来て、設備を確認し「来週はカメラ越しに授業して見ましょう」と。 テレビ電話もろくにしたこのないのに、画面越しは5つの教室と繋がっている。 引きつり顔の自分の顔も見ながら、部屋のパソコンで歌作りの授業をした。 この頃先生から「音楽の授業なので、授業のオープニングソングが欲しいです」 とリクエストがあって、「始まり

子ども達と唄作り①

この度、横浜こども医療センターのこども達と一緒に唄を作りました。 去年の4月から準備して、2019年、年明けにやっと形になりました。 学校事だったので、写真は使えないし、説明も難しいしと思って あえてブログには載せていませんでしたが、 こうゆう活動は、色んな人に知ってもらってこそだと思うので、 ここまでの経緯を簡単に説明します。(と言いつつ、連載になりそう) 4年前に、地元のお祭り「鎌人いちば」でボランティアをしている、 藤沢養護学校 鎌倉分教室(高校生)の生徒さん達と出会いました。 その出会いから、彼らがの出した「詩」に音楽を付けるという仕事を頂き、 「ありがとう〜繋がる方程式」という歌を作りました。  勿論そんな風に、誰かとコラボレーションして曲を作るという経験は 当時した事なく、  出来るだけ多くの生徒の言葉を使おうと奮闘したところ、 8分超えという超大作になってしまったり、自分が自然に歌っているキーが 「女子生徒には歌いにくい」となり、途中からキーを変更したり、 合唱で歌いやすいテンポを見つけたり、 生徒達と歌っていく中で、曲は変化し、本当の完成を迎えた気がした。  曲が完成してからは、麻はかと共に、学校の行事や鎌人いちばで披露してきた。 現在、その時の生徒ももう成人になっており、 最近、そうゆう学校の活動ともご無沙汰だったのだが、 去年の4月に、当時、分教室で担当をしていた先生から久しぶりに連絡が入った。 「今年から(不本意にも?)学校を移動になったんですが、 今一つのプロジェクトがありまして、そこに自分の天命を感じました。」 「今度の学校でも生徒達との歌を是非作って欲しいんです。 しかも今度の学校は病院の中にあるんです。」と熱いメールだった。 「病院の中の学校??」と学校のイメージも生徒のイメージもあまりないまま、 先生の話を聞きに学校に行ってみた。 なるほど、ここは「神奈川こども医療センター」といって、 横浜の六ツ川の丘にそびえ立つ、県内最大の小児医療施設で、 病院、病棟、学校、カフェにコンビニまである一つの町の様な場所である。  その全てが繋がった、広大な迷路の様な建物の中に、 「神奈川県立横浜南養護学

口太鼓

 ジャンベを叩いている皆さん。口太鼓は使っていますか?? 口太鼓とは、文字通り、口で太鼓のフレーズを言うこと。 それは、太鼓叩いてる時、叩いてない時、どちらの場面でも使われますが、 前回記事 でも書いたように、この口太鼓、 口頭で伝わって来ている音楽の、立役者なんじゃ無いか? って思うんです。  何故かってそれは、 声は太鼓よりも身近な楽器だし、 声は言葉となり、音に意味を持たせる事が出来るから。 アフリカでは女性の唄から生まれたリズムが沢山あると聞いたことがあるが、 それは女性が男性に比べて、社交的におしゃべりているからかもしれない。 生活の中の、不満や冗談が、いつしか音楽になっていったと言うべきか? とにかく、 「口太鼓」から多くのリズムが生まれて来たんじゃ無いかと僕は思うのです。 「 口で言えれば、どんなリズムでも叩ける。 」 「 何故なら舌も腕もどちらも同じ人間の筋肉が動かしているから 」 ジャンベを始めた頃に、誰かに言われた言葉、 それをどこか信じている一人の太鼓叩きとして、 確かに、口太鼓には沢山の利点を感じています。 太鼓が叩けない環境でも、音合わせが出来るという現実的問題から、 リズムを記憶する時に、叩きながら一緒に口太鼓すると、 手と声、二つの感覚器官を使うことで倍近いスピードで覚えられるし、 覚えたリズムが抜けにくくなる。とか 飽きるほど叩いたフレーズでも、口太鼓(声出さなくても)と一緒に叩く事で、 そのフレーズに重さとキレが乗っかり、結果として気分がノッてくる。とか 場所を選ばず、上手くいけば、記憶面や心理的にも影響してくれる。 ただそれにはちょっとしたコツがあると思うんです。 例えば、「ドントトッ カッ」っと言うフレーズ。 この一個のフレーズの中にも、沢山のヒントが隠されている。 「ド」「ト」「カ」はそれぞれ「低音」「中音」「高音」を表している。 (音の高低表現は母音に由来する。この場合の母音は「お」「お」「あ」 で、低音、中音は母音が同じだが、「゛」を付けることで、差異を出してる) 「ド」の後に「ン」を付けて「ドン」発音すると言うことは、 その音の横には空白が生まれる と言うこと