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ボボデュラッソ

ブログ更新遅れていました。4月11日に無事に日本に着きました。 無事と言っても、健康的にね。 実は日本に帰る日に、フランスはパリにてバックパック一つ置き引きにあいまして。。。 中身は、貴重品等は無く、洗濯していない俺のパンツとか、洋服が多く「ざまーみやがれ」って気持ちなんですが、 日記帳とカメラ(旅の後半の記録)が入っていたのが心残り。 出発時で時間がなかった事、フランスの警察の怠惰な態度に十分な追跡が出来ませんでした。 残念だけど、頭の片隅に旅の記憶が残っているうちに、書き出そうと思います。 さて、前回の続きでボボデュラッソに帰って来た頃の近況報告です。 ボボデュラッソ ボゴラ村からボボデュラッソに帰って来た。 村に行く前は、ブルキナ第二の首都も大分田舎だなと思っていたが、 電気があり、カフェがあり、グランマルシェが普通にあるって事    だけで、ボボが何でもあるきらびやかな場所に見えるから不思議だ。 ボボデュラッソとは、ボボ族とジュラ族の街と言う意味らしく、 沢山の民族が混在するが、マンデ系のジュラ族の文化が中心にある。 今まで訪れたマリのバマコ、ギニアのコナクリ、コートジボワールの アビジュアンとマンデ系の都市では例外なくムスリム色が強く、 お酒に対して少なからず後ろめたさみたいなものを感じたが、 ここボボは老若男女が昼間っからビールを飲んでいる。 「ちょっとお茶しようか?」のタイミングでビールを飲む。 後ろめたさどころか、生まれたての赤ちゃんにまでビールを飲ましてる。 一度、赤ちゃんにビールを飲ましてる母親に対して本気で怒ったが、 ビールを取り上げられた赤ちゃんは泣き続け、ビール瓶を探し続けていた。 でもビールは決して安いものでは無いので、庶民は手作りビールのチャパロ を飲む。ミレットと呼ばれる穀物を2日間くらい煮込み、発酵させて、 カラバスのコップに入れて飲むのがブルキナスタイル。 このチャパロを作り、提供する場所を人々はカバレ(多分キャバレーの事) と呼び、毎日大音量のステレオか、ミュージシャンによるライブがある。 かくゆう我々の家の隣がカバレで、2日に一回は夜中までライブがあった。 そんなカバレで演奏されるのが、ブルキナのスタンダードと

ブルキナファソ②

今日旅の最終地であるコナクリに着きました。 予定より1ヶ月も遅れての到着。寄り道し過ぎちゃった。 しかし、首都はやっぱり違うね。便利便利。wi-fiが普通にあります。 時間的に大分時差がありますが、書き溜めて置いたものがあるので ブルキナファソについての、思い出話。 さてドンソの村、ボゴラに降り立ちもう一つ驚いた事がありました。 それはここボゴラに住んでいる人は苗字が全員トラオレなのである。 つまり村人全員が親戚という、文字通りマイ ファミリー ビレッジなのである。 勿論村を出て行く人も、新たにファミリーになる人もいるが、現状は変らず、 村人はみんなトラオレって事らしい。濃い、濃い。 で、村の生活はというと、ただ生きる事を生きている様な感じ。 勿論、水道も電気もないから、自分の時間と労力を費やして、 衣食住を満たしてゆく。例えば生活必需品である水。 それを確保する為に、井戸まで行って、ポンプを使って水を組み上げる。 バケツに張った水をこぼさない様に頭に乗せて家まで運ぶ。 全てが肉体労働。しかしそこにリズムとバランスと笑いを織り交ぜ、 苦になる習慣を難なくこなしているから凄い。 例えば脱穀。これは特に女性の仕事で、村外れの大きな木の下に 脱穀&集会場があり、公共用の臼と杵が置いてある。 ボゴラでの主食はトウ(とうもろこしの粉をグルテン化させた様なもの) なので、脱穀は必須、毎日の日課になる。   一つの臼に1〜3人。臼はジャンベを思わせる形をしていて、 一人づつ突いていくんだけど、引の時に何気なく臼の端に杵をぶつけて 音を出してリズムを作る。そうすると不思議とジャンベのアコンパイマ に聴こえる。パタッピティパッパタッピティパッ。。。。 アフリカのリズムは生活の中から生まれたって言うのは本当の話。 でもそうやっているうちに日がくれ一日が終わってゆく。 しかし追われることは無く、ただ自然のリズムとともに生きている。 されど、そこにお金が交じり、しきたりや見栄、嫉妬心、、、 人間らしい感情もバシバシあるので、ただのシンプルとはいかない。 だからこそ、グリグリやまじない、プロテクションってゆう文化が 生まれたとも言える。  ある日アブロが楽器