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4月, 2018の投稿を表示しています

5月の予定

5月になりました!! 週末はイベント続きになりそうですが、通常通りワークも継続中です!! WORK SHOP   オープンクラス 5月 5日(土) 19:00〜22:00 @ 村岡 5月12日(土) 19:00〜22:00 @ 村岡 5月19日(土) 19:00〜22:00 @ 村岡 5月26日(土) 19:00〜22:00 @ 村岡 プログレスクラス 5月 7日(月) 19:15〜22:00 @ 六会 5月14日(月) 19:15〜22:00 @ 六会 5月28日(月) 19:15〜22:00 @ 六会 ンゴニクラス 5月 8日(火) 19:30〜22:00 @ 善行 5月29日(火) 19:30〜22:00 @ 善行 ペティクラス 5月10日(木) 11:00〜14:00 @ サロン ドゥ グレイスM 5月17日(木) 11:00〜14:00 @ サロン ドゥ グレイスM 5月24日(木) 11:00〜14:00 @ サロン ドゥ グレイスM 5月31日(木) 11:00〜14:00 @ サロン ドゥ グレイスM トライアルクラス 5月 7日(月) 11:00〜14:00 @ サロン ドゥ グレイスM 5月14日(月) 11:00〜14:00 @ サロン ドゥ グレイスM 5月21日(月) 11:00〜14:00 @ サロン ドゥ グレイスM 5月28日(月) 11:00〜14:00 @ サロン ドゥ グレイスM 番外ンゴニクラス 5月15日(火)  19:30〜21:30 @  WONTANARA TOKYO LIVE 5月 4日(金)  19:00〜:¥1500+1drink  @  荻窪 BUNGA [World Wide Week ]  facebook ページ   ソロで出演。 5月 6日(日)  15:00〜 ジャンベを長く永く叩くためのWS 18:00〜[Sangam Afro Live]  :ジャズカリ楽団:afrocoya ¥2500 @ 高崎 Sangam 5月13日(日)  鎌倉 petit r

責任と自由

人は大人になるにつれ、多くの「責任」を背負い混んでいき、 「自由」が無くなったと嘆く。。 しかし子ども時代に「自由に生きていたか?」と問われれば、そうでもない。 学校や親からのしがらみから「はやく自由なりたい」と思ってたくらいである。 写真:黒人奴隷船内部の鳥瞰図。  僕は子どもの頃、「自分は自由な存在でいたい」という思いが強かった。 当時通っていた野球教室も、行きたくない時が頻繁にあり、そんな時には、 「いざとなったらいつだって辞めれる!そのまま日本一周の旅だって出来る!」 と現実逃避的ではあるが、大きな世界を歩き回る自分を想像した。 その考えの元は、 「人間、裸になったら自由、そして本当はいつでも裸になれるし、 そのボタン(決定権)は自分の手の中にある。」 という、 生き物「人間」としての根源的な自由さを感じていたからかもしれない。 子供の発想ではあるが、 「人間はしがらみや所属、関係という多く「服」を着込んでいるから、 窮屈になり、自分の意のままには生きれない状況になる。 からといって「服」を脱ぐのは、寒いし、恥ずかしいし、 間違ってるかもしれないし、簡単な事ではない。 しかしそれらの思いを上回る「何か」が来たり、 厚着しずぎて動けなくなるくらいなら、人間、いつでも「服」を脱いで、 「ただの人間」として生きていける可能性を秘めているのだ」と。 そいやって、嫌な時間が来る度に 「取り巻く社会と完全に切り離された自分」 を想像しては、妙な安心感と、想像と現実の間に生まれた余裕のおかげで、 現実への勇気が湧いてきて、野球教室も6年生まで続けることができた。  しかしながら、大人になると根源的に「裸になる」事を想像しただけでは やりくりが難しくなって来る。 それは積み上げて来たものや、友達や家族などの「しがらみ」が実は、 自分の選択の結果だと言うことに、無意識ながらにも気がついてしまうからである。 と言うより多くの時間を「しがらみ」の中で過ごしている為、「しがらみ」の中でしか、自分を感じられなくなっていくのである。  父として、夫として、ミュージシャンとして

マジック・鉄の存在

アフリカには「 Magic 」という概念がある。 しかしそれはとても大きな概念をあらわした言葉で、 場面によって、魔術、呪術、手品、祈願、治療、お守り・・・などを指す。 ジャンベにまつわる音楽や楽器の中にも、 アフリカ人たちは沢山のMagicを感じており、信じているように思う。 彼らと生活を共にしていると確かに、 Magicという概念で捉えると腑に落ちる瞬間がある。 宗教とはまた別次元で日常の中に神秘があり、そこに生きている。 ギニア人がよく着ている「 セラガエ・ドンマ 」。 下着としての涼しさもさることながら、 「 魔除けの衣 」という意味合いで親しまれている。 自分にとって危険な場所に来た時に、ギュッと締まって教えてくれる腕輪や、 自分の姿(気配)を消せるという服を見せてもらったこともある。 そんなマジックに関わる今回、 「鉄」 について少し書きたいと思う。 「鉄」は地球の総重量の3割以上を有しているそうで、特に珍しい物質ではない。 しかし、人間が自分たちの用途を叶えるためには、 鉱物(自然)を錬金(超越)して精製しなければならない。 まず鉄が「鉄である」事にひとつのMagicがあるということである。 なるほど、ギニアやマリの鍛冶屋達は、いわゆる一般市民達とは少し違う存在で、 世襲制であり、誰もが衝撃的な経験する割礼の儀式、 その重要な歯入れの役を務めている。  だからと言って、 一般人より楽な立場で生活をしているか?といったらそうではなく、 暑いアフリカで、鉄を溶かすほどの熱を出す火を、自力で起こしては、 ハンマーで鉄を叩く事は、労働としても過酷である。 そんな彼らに、一般の人は畏敬の念と、優越感を混在させているようだ。 鉄がアフリカに来る前の太鼓は、乾燥させた木のツルや、 動物の皮でリングを作ったり、ボディに杭を刺したり、 身近な自然界にある物で皮を引っ張っていたんだと思う。 そこに鉄が入って来て、2本のリングで皮を挟み込む技術が生まれ、 ロープで引っ張ることによって、皮の

アラカリの「ジャンベ座談会」

ジャンベのリズムには、それぞれ、人が集う意味があって、 それぞれの「場」の感情がそのままダンスやリズムとなっているので、 その音楽は感情や衝動から生まれた、 超右脳的な音楽 と言える。  そんなジャンベの伝統リズムを再現しようと叩く 僕らの最終目的は、 実はそのリズムの持つ「感情」を再体験する事なのではないか? なんて思ったりもする。  しかし割礼や、鍛冶屋、道化師のリズムと言われても、世界観が遠すぎて 僕らにはなかなか想像出来なかったりもするので、 やはり感覚だけで「感情の再体験」にまで到達するのは難しい。 その背景を理解する事や、複数のリズムを理論的に整理して聞く事、 またそれを繰り返し身体に落とすことによって、 初めてその入り口に立てる気がする。 過去記事「 無意識とリズムの覚え方。右脳派、左脳派。 」にも書きましたが、 日本で、異国の伝統音楽を学ぶには、 右脳的理解と左脳的理解の両方を使うのが近道だと思うのです。  しかし、この理解の仕方と演奏はまた別問題で、 演奏中には左脳はあまり働かせずに、 右脳(感覚)の力を信じた方が良いと思います。 何故なら、左脳は計算が崩れた時に、臨機応変に対応しにくいし、 体験的にも、気持ちよく叩けている時に、「こう?」「違う?」と考えてしまい、 手が遅れたり、左脳の働きが邪魔する場合もあったからです。 演奏の時には邪魔になる? しかし、感覚的に気持ち良く、心地よく叩けるようになる為には、 その土台として、必須の左脳的理解に フューチャーして今回ワークショップを開催します。 4月25日(水)の19:30〜  最近毎度お馴染みになりつつある wontanara-tokyo さんにて「座談会」。 前代未聞!?楽器不要のジャンベのワークショップです。 どうゆうことをするか?を簡単に説明すると、 はじめに、みんなの知っているリズムを、色々挙げてもらい、 民族、地域的な分類と音楽的な分類を試みます。 音楽的な分類とは、超客観的に、ノリの違いでリズムを分類すると言う事。 つまり 、同