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リズムを身体に入れる。

 ジャンベに限らず「思わず身体が動いてしまうようなリズム」や、
「心地よく揺れながら聞ける音楽」というのは、音楽を奏でる張本人、
その演奏者の動き自体が、グルーブしているいうことになる。

 ライブなどでも、演者のノリ方は、そのままお客さんに影響を与えている。
演者がノリノリらな、お客もノリノリになり、
しっとり歌えば、場もしっとりする。
そうやって、ライブ会場には一体感というものが生まれる。
しかしそうやって生まれた一体感でも、演奏者と聴衆の立場の違いは大きい。
 聴衆は受動的にノリの上にいて、演者は能動的にノリを作っている。
見た目でノッているという現象は同じだが、その内面のあり方が大きく違う。
「ライブや儀式(みんなの為の音楽)」という、ある意味絶対的な空間を創る中、
演者は自分のノリを生み続けなければなりません。

 アフリカでも、結婚式などの演奏でついへばった態度を見せると,
後ろからすぐに代わりの叩き手がきて「交代しろ」と言ってくるし、
バチ物の太鼓のバチを演奏中に落とすとすごく怒られる。
手を止めるのはもってのほかである。

特にアフリカンは個々にグルーブを発しながら、複数人が集まって、
一つの音楽を作り上げているので、
簡単にアンサンブルから欠けてはいけないのだ。
何があっても簡単に止まらないタフなリズム、
自分のレパートリーからいつでも取り出せるリズム、

そうなるためには、リズムを身体に入れてしまうことが重要になる。
ひとつのリズムが身体に入るまでには、

⑴ 始めにリズムとの出会いがあり(受信)
⑵ 「どこが頭で、どこがグルーブのポイント」
などリズムを理解し(頭の理解)
⑶ 頭と身体を連動させる為、実際に叩き(訓練)
⑷ そのリズムを自分の身体に入れる(身体の理解)

  と、考えられる4つの工程があります。詳しく見てみると、

⑴ どんな人でも初見のリズムというものがあり、スタート地点は平等です。
 
⑵ 理解するにもスピードがあります。初めはゆっくりと理解していたことも、
 多くのリズムを学ぶと、リズムが自分の中で系統立てされてゆき、
 理解のスピードも自然と上がってきます。

⑶ 身体と頭をつないでいる最たるものは「声」だと思います。
 「声」で発声できるリズムは、手を使っても表現ができます。
 逆に「声」に出せないリズムは、手でも表現ができません。
「太鼓で唄う」とは、思ったリズムを瞬時に声に出し、
その声と共に手を動かす事に他なりません。精進が必要です。

そして今回のテーマ、
⑷ そもそもリズムが身体に入っている状態とは、
簡単に言えば、楽器を弾きながら、他の事が出来る状態のことである。

ギター弾き語りの人なら、誰でもやっていることではありますが、
楽器を弾きながら、歌い、話すというのは、
見た目ほど簡単なことではないのです。

⑶の状態で叩かれる、いわゆる「練習中」の演奏というのは、
その楽器のフレーズを頭の中で歌っている状態である。
その状態で、他の歌を歌うということは、
「一つの口で同時に2つの言葉を発する」ように不可能に近いのです。

つまり、口で歌いながら叩かれる太鼓のリズムは、
頭でなく身体からオートマチックに発せられたリズムである必要があります。
 手が、身体が、オートマチックに動くからこそ、
その上で話したり、考えたり、歌ったり出来る余裕が生まれます。

そこに行き着くまでに、3つのポイントがあります。

①オートマチックとマニュアルがあって良い。
オートマチックに対して、マニュアルとしちゃいましたが(笑)全てが全て、
オートマチック化させる必要はないと思います。ソロや「太鼓で唄う」時などは、
その場の流れで、リズムを処理する正にマニュアル的叩き方。
つまりソロはマニュアル車!アコンパイマはオートマチック車という事です。
まぁマニュアル車も乗り慣れれば、
自分の中でオートマチック化されてくるんですが。
とにかく、
重要なアコンパイマ(伴奏パターン)はぜひ身体に入れておきましょう!

②グルーブに乗る

 グルーブ感はリズムのオートマチック化に欠かせません。
グルーブは「創る」とも言えますが、
その地点に「到達した」ともいえると思います。
グルーブは点ではなく「流れ」としてあります。
なので「ノッてる」状態を作り出すことができます。
流れにノッてしまえば、静止している時よりも、
小さな力で前に進むことができます。
水の上の船も、太鼓を叩く時の腕も同じなんだと思います。

③リズムを出来るだけ多く感覚のフィルターに通す。

 せっかく、身体に入ってきても、少し叩かなかったりすると身体は簡単に
リズムを手放してしまいます。
そうならない為にはリズムを身体に刻み込む事です。
太鼓のリズムに関しては、「(手で)叩く」という行為が身体の記憶と一番直結
している行動ではあるのですが、積極的に(耳で)聞いたり、
口太鼓として(口で)発声したり、手以外の感覚器官でリズムを感じる事も、
同様に効果があると思います。
 例えば、一つのリズムを身体に入れる為には、そのリズムを10万回繰り返す
必要があるとします。
その期間を短くする為には、
リズムのスピード自体を上げていく事でもありますが、
「叩くと同時に口で発声」する事で、手と口、2つの感覚器官で
リズムを繰り返すこととなり、繰り返しは5万回だけで良くなります。。。。
 と、具体的な数字はあれですが、、、
リズムが感覚のフィルターを通った分だけ、
リズムは身体へと染み込んでいきます。

結論!
「ジャンベ上手くなりたかったら、より叩く」

結局はそこなのです。。






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アフリカ人的リズムの感じ方

アフリカ人ジャンベ叩きと一緒に叩いたり、観たり体感したことのある人には、
分かるかと思うのだが、アフリカ人のリズムには、何か異質のエネルギーを感じる。


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時に同じ生活をする事で見えてきた違いは、
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挙げたら切りが無い。


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KUKU (4/4) ジャンベ アコンパ


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もう一つ、よく叩かれるリズムで見てみましょう!
KASSA(4/4)ジャンベ アコンパ

①は通常どおり、リズム譜にリズムを記したもの。

②は日本人的リズムの捉え方。
拍の頭をリズムの頭と捉えて「カッ カカットト」とリズムを出している。
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声と音色。話し方と叩き方。

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 なるほど、僕も長年色んな人ジャンルの太鼓叩き達と太鼓を叩いてきましたが、
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 太鼓がシンプルな楽器だからか、
そうしたシンプルで根源的な特徴ほど、音によく現れる。
もちろん、その時の心情や気分も変化しながらも影響していて、
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 いわば、太鼓を叩いていくうちに、自分のそうした根本的なエゴの部分や、
自身の変動的な感情に対峙させられ、音楽的に成長するために、


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生まれながらに「美声」を持っている人がいるように。
初めてジャンベを叩いたのに「綺麗な音」を出せる人もいる…

リズムから解く人間関係 〜ポリリズム〜

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産声をあげ、呼吸というリズムを始め、
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日々様々なリズムの中で暮らしている。



「僕らの生は、数あるリズムが、同時に鳴っている上にある」といっても過言ではない。

リズムは、「一定間隔」で「継続」されることにより、心地良いリズムとなる。
逆に「不定間隔」に「断続」的なリズムは、人々を不快にさせる傾向がある。
 そうゆう意味で、鼓動は人間にとって一番身近なバロメーター的リズムとなっている。


平常時、「トクトク」と脈打つ鼓動が例えば、車に突然轢かれそうになった時に
「どきっ」と反応し、「ドキドキドキドキ」と鼓動が速くなる。
これは、自分に迫った危機に対する回避反応ではあるが、
その後必ず怒りが沸き起こる。(轢かれてなかった場合ですね)
 その怒りは、「あぶねーだろ!」って気持ちと、
自分を「どきっ」とさせたこと=心地良いリズムを、中断させられた怒りである。


 時差ボケで苦しめられたり、昼夜逆転の生活がうつ病を招きやすかったり、
休日出勤に嫌気がさしたり、予想してなかった渋滞に巻き込まれたり、
人間は自分のリズムが崩された時に、ストレスに感じる。のです。

自分のリズムを崩す際たるものが、、、、他人です。
まぁ、動物の中で、唯一エゴを持った僕ら人間の宿命みたいなものですが、
自分のリズムとグルーブして、リズムを昇華させてくれるのも、他人です。


人間は本来それぞれ自分の心地良いリズム、得意なリズムで生きていたいものなのです。