スキップしてメイン コンテンツに移動

感慨深き夜。

 先日、MOJADAが大盛況のうちに無事に終了しました。

ここ最近のアフリカン系のイベントでは珍しく、日本人が主役のステージで、
関東で活躍する8つの日本人アフリカンバンドが集結した。
各バンドの醸し出す雰囲気の違いが面白く、
日本人だからこその試行錯誤が見られた演出に僕は大満足だった。

会場には懐かしい顔ぶれもちらほらといて、ある古い友人と10年ぶりくらいに
再会し、話をしていると「俺こうゆう所来るの久しぶりで楽しい」、
「けど、お客さんの年齢層高めだね(笑)」と笑った。
楽しさで気が廻らなかったが確かに、初めて見る人たちも沢山いたが、
30代〜60代が主流で若くても20代後半くらいの人しかいなかったなぁと。

 これは色んなジャンルで懸念されていて、僕もここ数年なんとかしたいと
思っている「後継世代問題」の一片である。
僕の周りのアフリカンの世界を見てるだけでも、
興味を持つ人の年齢が僕と同世代かそれ以上の世代がほとんどである。
その世代の子供達が親の影響でジャンベを始めたというホットな情報もあるが、
現時点での18歳から25歳くらいまでのジャンベ人口は圧倒的に少ないと思う。
その原因は勿論、まだまだマイノリティーな音楽であるという事であるし、
その世代の人口自体が少ないという少子化問題が原因とも言えるし、
単純に日本の若者が憧れる様な音楽には映らないとも言えるのかもしれない。
そもそも、僕の日常生活でもなかなか出会わない世代なのである。

 全てのライブも終わり、MOJADAの会場を後に、
僕と車組のサカバメンバー数人は駐車場に向けて歩き出した。
駐車場に着いた時、メンバーの誰かが隣のコンビニ前の異変がに気づき
「誰か倒れてるけど、大丈夫?」と言った。
 よく見ると道路に1人、コンビニと駐車場の間にある階段の下に1人、
階段の踊り場で1人と合計3人の女の子が酒に潰れたのか、横たわっていた。
周りには10名ほどの男子と2〜3人の意識ある女の子達がわさわさといた。
階段の上には居酒屋があったので、大学生のサークル飲みで、
「少し飲みすぎたのかな?でも女の子だけ3人も倒れるか?」と思って、
そこにいる大学生達に声をかけた。「どうしたの?」と聞くと、
『いや、、大丈夫です』と答えた。
しかし道路に倒れた女の子、よく見ると顔面がアスファルトにくっついた状態、
「男子の誰か、膝を貸してあげなよ」と彼女を持ち上げようとすると、
その顔は汚物で汚れていた。
「とりあえず顔を綺麗にするために、ティッシュ持ってないの?」と聞くと
『あ、あるかも』とその場にいた友人らしき女の子が呑気に答えた。
男子は、汚物で汚れたその子を敬遠する様に、膝を貸そうとはせず、
『ありがとうございました』とこれ以上僕らに構うなという様にあしらった。

そのまま様子を見ていると、意識不明のその子をどこかに連れて行きたいのか?
ぐねぐねのその女の子を無理やり持ち上げようとして、苦戦をしていた。
「ゴン」頭がアスファストに当たる音がして、
さすがにそこにいたサカバメンバーがキレた。
「何やってんだ!危ないだろ!」「救急車に連絡しなさい」と、
すると『あなた達には迷惑かけてない、関係ないだろう』
と一人の学生が強い調子で言い返した。
そこで還暦を過ぎた松田さんがキレた。「お前らそれでも人間か!?」
と、突き出した松田さんの指先が大学生の体に触れると、すかさず
「暴力すんなよ!傷害罪で訴えるぞ!」とイキリ怒鳴った。

目の前の現状も対処できていないのに良くもそんな機転が利いた事を
立派に言えるなと思いつつ、明らかに目上の人に、
そんなことを言える彼らに憤りを覚えた。
が、ここで感情的になっても目の前の問題解決はおろか、
怒鳴ったその男の思う壺となってしまうので、
松田さんに「アツくなり過ぎないで」と声をかける。

大学生の中でも介抱しようとする学生もいたが、ただただ「水飲め!」とか
「ちょっとしたら大丈夫でしょ」とかなんとも頼りない感じであった。
 
少し落ち着いた様子の松田さんが「今警察に電話しました」と言う。
「警察?こう言う場合救急車じゃない?」
「あれ?俺なんで警察に連絡したんだろう?」なんてやりとりをしている間に、
女の子の周りにいた学生達の数が減ってるのに気がついた。
警察が来た頃には、松田さんに毒づいた学生はおろか、階段周辺で倒れていた
女の子達も忽然と姿を消しており、路上に倒れていた女の子と、
介抱する2人の男子の3人のみになっていた。
しかし、こちらもこれから1時間半の運転があるのでと、
松田さんが警察に事情を話し、後の対応は警察に任せて、
立ち去ろうとした時、警察が残った大学生達に
「え?彼女の荷物は誰が持っていったの?」と聞いていた。
どうやら意識不明のその女の子の持ち物一切合切が無くなっているらしい。
「いやぁ、誰が持っていったんでしょう?」と
答える大学生を尻目に、僕らは家路に着くことにした。

帰りの車内では、ある種興奮状態で、
今あった状況を話し合い、どうにか頭で整理しようとしたが、
感情がそれの邪魔をした。

しかしながら、時間が経った今、あの大学生達は実は自分が(アフリカン界に)
望んでいた世代なんだと気が付き。
「今回感じた溝をどう埋めていっていいのか?」
と言う具体的な問題が現れて来た。

 若い世代を考える時、どうしても自分の若かった頃を重ね合わせてしまうが、
時代や環境というものは、思った以上に速いスピードで変化していて、
自分と違う時代で育った若者達は、確実に自分の若い頃とは違うのである。
 だから尚更彼らを知りたいと思うし、
彼らにアフリカンの良さを知ってもらいたいと思った。

そんな七夕でした。



コメント

このブログの人気の投稿

ジャンベの叩き方〜音だし 手のひら編〜

ジャンベには基本の3つの音がある。 「ドン」「トン」「カン」 一つの打面だが低音、中音、高音と音質が変化する。 それに、ダイナミクス(音量の上げ下げ)や、微妙な倍音をわざと出したり、 ちょっとしたことで音は変わるから、 実際は3つの音だけでは無い。  しかしながら、1番大切な三つの音を先ずは出せる様にしよう。   ここから僕の感じた3つの音の出し方を書きます。 あくまでも個人的な見解なので、「そんな感じもあるんだ」くらいに読んで下さい。   立って叩く場合でも、座って叩く場合でも、打面がおへそからおへその少し下に 来る様にジャンベをセットする。 座って叩く場合は、ジャンベ下部の穴を塞がない様に、ジャンベの打面を 少し奥に傾けて、それを両膝の内側で支える様に座る。   肩の力を抜いて、ジャンベのふちに両手を置く。 この時、 ジャンベのふちのアールに合わせて 、自分の手を少し曲げ、フィットさせる。 頬杖付いたときの、手の形の様に、対象を包み込む感じです。 これが、基本の姿勢である。あくまでも 自分にとって自然な姿勢 でこれをキープします。 ドン/低音 /ベースの出し方 3つの音の中でも比較的出し易く、認識し易い音で、一言で言うと、 リムの内側、打面の中央辺りに腕の重さを乗せて、手のひら全体で叩く。 初めは、叩くというイメージよりも「腕を落とす」とイメージする。 例えば、手首に糸を巻いて、脱力した腕を吊り上げられた状態で、 誰かにその糸を、急に切られた様な感じ。 手のひらが皮にぶつかった瞬間に来る反発を素直に受けたら、 トランポリンの要領で、手のひらが上に跳ね上がる。 体重が乗れば乗るほど、落下スピードが速ければ速いほど、反発も大きくなる。 手のひらが当たった時、手のひらの中央は皮にはぶつかっていない。 でも、重心はそこ(手のひら中央)に持ってくる。 音は、太鼓下部の穴から抜けて来る感じ。 それがドンの音。 トン/中音/トニックの出し方。

アフリカ人的リズムの感じ方

  アフリカ人ジャンベ叩きと一緒に叩いたり、観たり体感したことのある人には、 分かるかと思うのだが、アフリカ人のリズムには、何か異質のエネルギーを感じる。   根源的で、野性的で、生命力そのものの美しさ、 それでいてユーモアまで感じるエネルギーを含んだリズムとでも言い表すべきか? 僕自身も色々な理由からジャンベを続けてこれたが、 「アフリカ人の様なフィーリングで叩きたい」 という思いが常にあった。 「一体何が、我ら日本人と違うのか?」と思いたって、アフリカ人の演奏を観察し、 時に同じ生活をする事で見えてきた違いは、 音量、スピード、熱量、前ノリ感、独特の間、ポリリズム感など、 挙げたら切りが無い。 が、その違いを一つ一つ理解して、日本人らしく、論理的かつ柔軟な感覚で アフリカンフィーリングを習得して行ったら良いと思い、 このblogで記録しながら共有してます。 まぁフィーリング(感覚)の話なので、習得には個々人の訓練と慣れが必要になってきます。   そんな今回は、 1番 簡単に アフリカ人フィーリングに近づける方法! 題して 「アフリカ人的リスムの感じ方」 。 それを一言で言うと、 「アフリカ人達は、リズムを最小限で捉えようとする」 と言うことになる。 「リスムを最小限?捉える?」となると思うので、ここで例を、 (B=ベース。T=トニック。S=スラップ。) KUKU (4/4) ジャンベ アコンパ ①は通常どおり、リズム譜にリズムを記したもの。 ②は日本人的リズムの捉え方。 B(ベース)をリズムの頭と捉えて「ドントトッ カッ」とリズムを出している。 この場合、8拍あるうちの、7拍分がリズムへの集中力となり、1拍が休憩となる。 ③はアフリカ人的リズムの捉え方。 S(スラップ)を頭と捉えて、「カッ ドントトッ」とリズムを出している。 この場合、リズムの集中力が6拍分、2拍が休憩となる。 同じリズムではあるが、捉え方によって、休憩できる拍が変わってくる。

平和と調和

「平和と調和、それは似て非なるもの」 いきなりですが、今日は平和と調和について語りたいなと。。 漠然とではあるが「平和」と言う言葉には安心感がある。 シンボルマークはご存知、鳩の足から形取られたピースマーク。 「love&peace」を掲げていた60年代カウンター文化からの名残は、 その後の時代の音楽や映画にも多くの影響を及ぼし、 僕らにとって「平和」や「PEACE」と言う言葉は、身近な表現になった。 しかし、2019年になっても、依然としてその実現は難しい。。。 逆に「調和」は僕にとってあまり馴染みのない表現だった。 シンボルマークは陰陽を現したタオとも呼ばれるこのマーク。 少林寺拳法や、映画キョンシーの中にも描かれていたから、 なんとなくアジア的なイメージのあるマークだけど、 その意味の「調和」と言う言葉を感じて、使うようになったのは、 やはりジャンベ音楽から。 特に誰かと奏でるアンサンブルは「調和」と言う表現がしっくりくる。 そもそも「平和」や「調和」と言う言葉の意味とは?と思い、 ネットで調べると 「 平和 」は、 「 戦争や内戦で社会が乱れていない状態 」の事で、 「 穏やかに、和らぐ、静かで、のどかである 」様とも表現される。 「 調和 」とは? 「 全体が具合よくつりあい、整っている事 」 「 矛盾や衝突がなく、まとまっている事 」とある。 ここで、気付くことが一つ。 「 平和 」は「戦争」が前提としてある言葉ということ。 なるほど、この言葉が叫ばれた時代というのは、 確かに今以上に未知なる戦争の脅威に晒されていた。 混沌とした戦争の時代。その先の光が「平和」だったんだと思う。 しかし「光」があるから、「闇」があるように、実は 「平和」があるから、「戦争」があるとも言えてしまうのだ。 対極して存在することで語られる言葉は二元論と呼ばれ、 会話は考え方にとって「便利」ではあるが、 その視野は二つの点が繋がった「平面的」なモノなので、 それを「立体的」に絡み合う現実世界に当てはめようとしても どこかしっくりこない場所(しわ寄せ)が現れてしまう。 「平和」は人間が作った概