音、分子、赤外線、気持ち、自由、概念、匂い、磁気、、など
目には見えないけれど、確かに存在するものはこの世に沢山ある。
その中でも、東洋発信の概念「気」についての話。
僕自身、「気」が一体何なのか?本当のところよく分からない。
しかし分からないなりに、感じた事を言葉にして見ます。
学生時代、気を操る先生がいた。
授業の内容や、顔などはほとんど覚えていないが、その先生が言った
「気の出ている手は、霜降り状態になっている」って言葉だけ鮮明に残ってる。
というのも、特に冬など手の血行が悪い時に、ジャンベを叩いても
あまり良い音がしなかったり、音分けに苦労したりするのだが、
30分くらい叩いているうちに、音が軽く出るようになったりする。
その時の状態の自分の手を見てみると、まさに「霜降り状態」になっている。
これは血行が良くなった分、血液量が増して、物理的に手の平の重さが
重くなり、重さが増した分、衝撃が増して、音が大きくなった。とも言えるが、
「気」が出ているから、音が大きくなった。と捉える事もできる。
どうやら、血液の流れ(生命エネルギー)と気の流れは関係性がありそうなのだ。
先人の作った「言葉」にして見てみると、腑に落ちたりする。
「やる気」「強気」「弱気」「負けん気」などはもう少し内面的な
「気」持ちや「気分」を説明した言葉で、
「気」も持つ事ができるなら、手離す事もできるわけで、
人は色んなの「気」をまとう事で、気持ちが変わる。
「気」はそのように常に一つの状態ではなく、周りにも影響されつつ、
細分化され色々な方向へ分かれて行くので、気分は変わりやすい。
「病気」は気が病になった状態のこと。→気の病が、症状として体に出る。
「元気」は気が元に戻った状態のこと。→つまりは元気とは通常時の事。
「殺気」は誰かが自分を「殺そう」という「思い」に気がついた時に感じるもの。
「気」。。やはり目には見えないけども、心当たりある感じがする。。
そのエネルギーをどう認識するかは、人それぞれなんだと思うけど、
つまりは、意識しようが、しなかろうが「気」に左右されている
自分がいる訳です。
ここからが本題なのですが、日常生活の中で「気を使ってくれる」人がいます。
「気を使う」という言葉はポジティブにはネガティブにも取れますが、
「使う」ということは、消費している、消耗しているということなのです。
だから、沢山気を使った後には疲労感があります。
そもそも「気を使う」ことの目的は「気付く」為なのです。
相手の気持ちに「気付いたり」、
自分に粗相がないように、自分の粗相に気付く為に「気を使う」分けです。
同じように「気付く」事の表現で「気が利く」という言葉がある。
この「利く」という言葉には「作用や効果が十分に現れる」という意味がある。
つまりは、気が効いてる状態。
自分の気の場が拡大しているので、気の琴線に触れた事柄に
自然に「気付ける」という事。
この場合、自分の気を消耗しているわけではないので、疲れることはない。
相手に気を使うということは、元気の素である「気」を
自分ではなく相手に送り続けて、気付こうとする状態であり、
気を効かすということは、自分の意識の場を広げて、相手の気に気付くことである。
この違いは、ジャンベアンサンブル中の聞き方の違いに似ている。
複数の楽器のアンサンブル中は、周りの音を聞くか、自分の音を聞くか、
色々葛藤がある。
アフリカンの先輩は「自分7割:周り3割」で聞いて叩いてると言っていた。
確かに、自分以外の周りの音ばかり聴いていると、そちらに持って行かれたりする。
だからって自分の音だけ聞いていたら、周りとはズレてしまう。
だから「自分7割:周り3割」くらいがちょうど良い。
音楽は表現なので、やはり自分主体であるのが大前提である。
どこかの音に、合わせる事だけに気を使い叩いていると疲れるし、つまらない。
自分が素直に出した音(気)が、誰かの素直な音(気)と同調していく
ことが、音楽の、はたまた、人生の醍醐味であると思うので、
コメント
コメントを投稿