以前の記事で「ジャンベには基本的な3つの音がある」と紹介しましたが、
この3つの音をクリアに、自由に操るためには、相当な時間がかかります。
初めは「何となく音が分かれてるかな?」くらいから始まると思います。
勿論、その状態でもリズムアンサンブルとして楽しめるものですが、
上手な人や、音の大きな人と叩くたびに、
「もっとクリアに自由に良い音を出せるようになりたい」という課題が現れる。
そして、長く太鼓を叩く中で、手が痛くなったり、どこかを痛めたり、
速さに追いつかずに腕が止まったり。そんなことをを繰り返して、
太鼓と友達になって、初めて自分の音を手に入れるような気がします。
太鼓の「音」をアフリカの言葉で「Kan」といいます。
この「Kan」は「言葉」という意味であり、「声」という意味でもある。
つまり、アフリカ人たちは「(楽器の)音」も「声」も「言葉」ですら、
同じ意味合いとして、捉えている訳です。
なるほど、僕も長年色んな人ジャンルの太鼓叩き達と太鼓を叩いてきましたが、
叩き手の出す太鼓の音色やフレーズは、
そのまま叩き手のパーソナリティーを表してる
と感じてきました。
声の大きない人、自分を余り表に出さない人、すぐふざける人、真面目な人、
おしゃべりさん、無口、自信がある人、自信がない人、etc.....
太鼓がシンプルな楽器だからか、
そうしたシンプルで根源的な特徴ほど、音によく現れる。
もちろん、その時の心情や気分も変化しながらも影響していて、
太鼓を前にした時に、自分自身で自分の強い感情に気づく事もある。
いわば、太鼓を叩いていくうちに、自分のそうした根本的なエゴの部分や、
自身の変動的な感情に対峙させられ、音楽的に成長するために、
自分の心の癖をも修正しようと試みる事になる。
だから楽器の習得は人生の縮図のようなものなのだ。
自分の良い所も、悪い所も、生き様も、癖も赤裸々に見せてくれるだけでなく、
楽器を始めて触ってから、出来ることを増やしていく過程は、
0歳から初めて成長してゆく過程をもう一度味わうチャンスなのだ。
そして突き詰めていくと自分ではマイナスに見えていた要素も、
その人の叩き手としての魅力の一部となり、見ている人を熱くさせたりする。
生まれながらに「美声」を持っている人がいるように。
初めてジャンベを叩いたのに「綺麗な音」を出せる人もいる。
その逆も然りで、どんなに練習しても「自分の理想の音」に近づけない人もいる。
しかしそのような人がついに自分の理想の音を手に入れた時、
その過程で得た理想とされなかった音も、実は一つの音であったと気づき、
その音を見直す事により、自分の音のボキャブラリーを増やす事ができる。
「しゃがれた声」を「汚い」とも、「ハスキーで渋い」とも捉えられるように、
「美しい声」を「綺麗」とも、「正統派すぎて退屈」とも捉えられるように、
理想の「音色」や「声」というものは、受け手の「好み」によって変わる。
そして「好み」とは自分本位なものである。
だから自分が
「どんな音を出したいか」「どんな音が好きなのか」を自覚しておくのは
自分の音を手にいれる近道だと思います。
太鼓の音色が「声」であり、叩く事が「しゃべる」事ならば、
太鼓はやはりコミュニケーションツールである。(太鼓ミュニケーション)
英語、フランス語、スペイン語などの言語を習うのと同じくらい、
習得すれば、コミュニケーションの場が広がるツールなのです。
一般的にコミュニケーションとは、知覚、感情、思考の伝達であり、
その手段である声色には、あなたの人間性や心の状態が、
話す内容には、あなたの生き様、哲学が投影されているのです。
えー、ジャンベ深し。。
えー、ジャンベ深し。。
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