スキップしてメイン コンテンツに移動

無意識とリズムの覚え方。右脳派、左脳派。

 アフリカには数多くのリズムがある。
西アフリカだけでも、無数のリズムがあり、

地域的な解釈でそれが少しづつ変化し、

今尚、新しいリズムが創られている、と考えると数百は下らない。

 そして一つのリズムと言っても、

それは複数のリズムパターンの集合体であって、

その上に乗るソロのリズムパターンも加えると、なかなか、、その道のりは長い。
 しかも、僕らにとっては遠い遠い外国の極めて主観的で地域的な音楽なので、

覚えることはおろか、理解することすら最初は難しいかもしれない。
 しかしそんな土壌の日本でも、

頑張って理解をしようとしている人達が増えているし、

実際にアフリカ人と共に叩いても、何の遜色もない日本人もいる。

そうなる為に、たくさん努力したのか?

ただ楽しく突き進んで行ったらそうなったのか?

それは人それぞれだとは思うが、そんな皆が皆、

沢山のリズムを記憶している事は間違いない。
立派なジャンベ叩きになるには、覚えることも多いのです。。


今回はそのインプットのお話。

僕自身、今まで多くのジャンベ叩き達に会ってきて思ったのが、

やはりそれは「右脳派」と「左脳派」に大きく分けられる事だ。

インプットとは理解(分かった!)から記憶(身体に入った!)

までの流れの事。


「右脳派」は感覚派。

リズムを音楽、メロディーとして捉えているので、

理解は速いが、記憶はすぐになくなる傾向。

しかし一度身体に入ったリズムは忘れない。

理解しがたいリズムは嫌い。女性に多い。


「左脳派」は理論派。

リズムをパルスや数式的に捉えているので、理解するまでに時間がかかりやすい。

が、後に自分の中で整理されたら、忘れにくい傾向。

比較的複雑なアンサンブルを好むが、自分の数式が崩れるとフリーズする。

男性に多い。



なんて、勝手に書かせてもらいましたが、

要は、どちらも一長一短。

なので中道。「どちらの感覚も利用する」って事が一番の近道だと思うのです。
「右脳派」の感覚が理解できない「左脳派」の人は、

自分の好きな歌を繰り返し聴いてくうちに覚えてしまう感覚を

思い出してみてください。

メロディーや歌詞の様に太鼓を聴いてみるといいかも知れません。



左脳的理解を毛嫌いする「右脳派」の人は、

聴覚的な情報を、視覚的な情報に変化させたら、

それは綺麗な図形とも取れるし、いつでも取り出せると思って下さい。
そもそも、アフリカでは口頭でリズムが伝えられていたわけです。

口伝、それは完全なる右脳派、感覚と習慣のなせる技なのです。

「聴いて覚える」

アフリカ音楽は、そこが前提である。と言うことを忘れてわならない。

しかし僕らはそれを外(日本人的感覚)から学ばなければならないので、

感覚的な要素だけで、習得するのは非常に難しい。

だから、譜面に起こしてみたり、拍を確認してみたり、

はたまた、現地での意味合いなど情報を収集したり、

理論的な行動で補うのです。
 リズムの記憶力とはもちろん「繰り返す」事が基本だとは思いますが、

人間の記憶装置は「欲する」ほどに、

「触れている」時間が長ければ長いほどに、

また必要性が上がれば、上がるほど、

能力が増す気がするのです。


 個人的な体験ですが、初めてギニアに行った時に、レコーダーを持たずに、

毎日覚えたことを、その晩、ノートに記してました。

なのでレッスン中も夜まで覚えておくために、集中してリズムを聴いていたし、

夜、譜面に起こすために、もう一度頭の中で太鼓を叩くという

作業を繰り返した事でリズムに触れている時間が2倍にもなった。

おかげで、その間習った10数のリズムは10年以上経った今でも抜けずにある。
レコーダーの素晴らしさは、説明不要ですが、

レコーダーに記録した安心感から、

自分に落とす必要性が薄れる可能性があります。

リズムを覚えておくには、いかに「自分の腑に落とすか」だと思うのです。

実際に太鼓を叩いている時には、レコーダーは助けてくれないのです。

信じれるのは、自分の感覚と記憶なのです。

その為に何回も反芻して、文字どおり身体に叩き込むのです。

そう考えると、速いリズムで叩いた方が、より短時間で腑に落ちるし、

難しくて、理解できなくて、何度もくじけそうになった曲ほど記憶に留り、

「あっ、それね、簡単なやつね」とすぐに理解したリズムほど実は忘れやすいのです。


やるだけやったけど、それでも覚えられないフレーズもあるでしょう。

そんな時は、無意識の力を信じて、

そのフレーズから少し離れてみるのも良いでしょう。

記憶の整理は、寝てる時など無意識化で行われている様なので、

夜、叩けなかったフレーズでも、次の朝には叩ける様になっている事も

しばしばあります。
まぁこれには、前日の理解しようとした努力があったからこその結果ですが、

理論が邪魔して叩けない時や、感覚が全然つかめない時は、

思い切って、諦めてみる事も、遠回りではないのです。



歳をとり、記憶が弱くなってきて、ソロを覚えるのがどうも苦手で・・・

なんて人は逆に、人生の経験を生かし、

ソロをクリエイションしてけば良いのです。
ってそれはそれでまた難しいですが。。。。

とにかくリズムは繰り返していけば、必ず身についてきます。

その身に付くスピードも、経験とともに上がってきます。

覚え方にも自分なりのコツがあると思うので、

その方法をそれぞれが見つけてみてください。

コメント

このブログの人気の投稿

ジャンベの叩き方〜音だし 手のひら編〜

ジャンベには基本の3つの音がある。 「ドン」「トン」「カン」 一つの打面だが低音、中音、高音と音質が変化する。 それに、ダイナミクス(音量の上げ下げ)や、微妙な倍音をわざと出したり、 ちょっとしたことで音は変わるから、 実際は3つの音だけでは無い。  しかしながら、1番大切な三つの音を先ずは出せる様にしよう。   ここから僕の感じた3つの音の出し方を書きます。 あくまでも個人的な見解なので、「そんな感じもあるんだ」くらいに読んで下さい。   立って叩く場合でも、座って叩く場合でも、打面がおへそからおへその少し下に 来る様にジャンベをセットする。 座って叩く場合は、ジャンベ下部の穴を塞がない様に、ジャンベの打面を 少し奥に傾けて、それを両膝の内側で支える様に座る。   肩の力を抜いて、ジャンベのふちに両手を置く。 この時、 ジャンベのふちのアールに合わせて 、自分の手を少し曲げ、フィットさせる。 頬杖付いたときの、手の形の様に、対象を包み込む感じです。 これが、基本の姿勢である。あくまでも 自分にとって自然な姿勢 でこれをキープします。 ドン/低音 /ベースの出し方 3つの音の中でも比較的出し易く、認識し易い音で、一言で言うと、 リムの内側、打面の中央辺りに腕の重さを乗せて、手のひら全体で叩く。 初めは、叩くというイメージよりも「腕を落とす」とイメージする。 例えば、手首に糸を巻いて、脱力した腕を吊り上げられた状態で、 誰かにその糸を、急に切られた様な感じ。 手のひらが皮にぶつかった瞬間に来る反発を素直に受けたら、 トランポリンの要領で、手のひらが上に跳ね上がる。 体重が乗れば乗るほど、落下スピードが速ければ速いほど、反発も大きくなる。 手のひらが当たった時、手のひらの中央は皮にはぶつかっていない。 でも、重心はそこ(手のひら中央)に持ってくる。 音は、太鼓下部の穴から抜けて来る感じ。 それがドンの音。 トン/中音/トニックの出し方。

アフリカ人的リズムの感じ方

  アフリカ人ジャンベ叩きと一緒に叩いたり、観たり体感したことのある人には、 分かるかと思うのだが、アフリカ人のリズムには、何か異質のエネルギーを感じる。   根源的で、野性的で、生命力そのものの美しさ、 それでいてユーモアまで感じるエネルギーを含んだリズムとでも言い表すべきか? 僕自身も色々な理由からジャンベを続けてこれたが、 「アフリカ人の様なフィーリングで叩きたい」 という思いが常にあった。 「一体何が、我ら日本人と違うのか?」と思いたって、アフリカ人の演奏を観察し、 時に同じ生活をする事で見えてきた違いは、 音量、スピード、熱量、前ノリ感、独特の間、ポリリズム感など、 挙げたら切りが無い。 が、その違いを一つ一つ理解して、日本人らしく、論理的かつ柔軟な感覚で アフリカンフィーリングを習得して行ったら良いと思い、 このblogで記録しながら共有してます。 まぁフィーリング(感覚)の話なので、習得には個々人の訓練と慣れが必要になってきます。   そんな今回は、 1番 簡単に アフリカ人フィーリングに近づける方法! 題して 「アフリカ人的リスムの感じ方」 。 それを一言で言うと、 「アフリカ人達は、リズムを最小限で捉えようとする」 と言うことになる。 「リスムを最小限?捉える?」となると思うので、ここで例を、 (B=ベース。T=トニック。S=スラップ。) KUKU (4/4) ジャンベ アコンパ ①は通常どおり、リズム譜にリズムを記したもの。 ②は日本人的リズムの捉え方。 B(ベース)をリズムの頭と捉えて「ドントトッ カッ」とリズムを出している。 この場合、8拍あるうちの、7拍分がリズムへの集中力となり、1拍が休憩となる。 ③はアフリカ人的リズムの捉え方。 S(スラップ)を頭と捉えて、「カッ ドントトッ」とリズムを出している。 この場合、リズムの集中力が6拍分、2拍が休憩となる。 同じリズムではあるが、捉え方によって、休憩できる拍が変わってくる。

平和と調和

「平和と調和、それは似て非なるもの」 いきなりですが、今日は平和と調和について語りたいなと。。 漠然とではあるが「平和」と言う言葉には安心感がある。 シンボルマークはご存知、鳩の足から形取られたピースマーク。 「love&peace」を掲げていた60年代カウンター文化からの名残は、 その後の時代の音楽や映画にも多くの影響を及ぼし、 僕らにとって「平和」や「PEACE」と言う言葉は、身近な表現になった。 しかし、2019年になっても、依然としてその実現は難しい。。。 逆に「調和」は僕にとってあまり馴染みのない表現だった。 シンボルマークは陰陽を現したタオとも呼ばれるこのマーク。 少林寺拳法や、映画キョンシーの中にも描かれていたから、 なんとなくアジア的なイメージのあるマークだけど、 その意味の「調和」と言う言葉を感じて、使うようになったのは、 やはりジャンベ音楽から。 特に誰かと奏でるアンサンブルは「調和」と言う表現がしっくりくる。 そもそも「平和」や「調和」と言う言葉の意味とは?と思い、 ネットで調べると 「 平和 」は、 「 戦争や内戦で社会が乱れていない状態 」の事で、 「 穏やかに、和らぐ、静かで、のどかである 」様とも表現される。 「 調和 」とは? 「 全体が具合よくつりあい、整っている事 」 「 矛盾や衝突がなく、まとまっている事 」とある。 ここで、気付くことが一つ。 「 平和 」は「戦争」が前提としてある言葉ということ。 なるほど、この言葉が叫ばれた時代というのは、 確かに今以上に未知なる戦争の脅威に晒されていた。 混沌とした戦争の時代。その先の光が「平和」だったんだと思う。 しかし「光」があるから、「闇」があるように、実は 「平和」があるから、「戦争」があるとも言えてしまうのだ。 対極して存在することで語られる言葉は二元論と呼ばれ、 会話は考え方にとって「便利」ではあるが、 その視野は二つの点が繋がった「平面的」なモノなので、 それを「立体的」に絡み合う現実世界に当てはめようとしても どこかしっくりこない場所(しわ寄せ)が現れてしまう。 「平和」は人間が作った概