スキップしてメイン コンテンツに移動

ジャンベの音だしヒント 〜空手・ムチ編〜

 格闘技と、音楽。一見すると「闘い」と「調和」。

相反する世界だけど、
それを個人レベルまで引き下げていくと、
一人の人間が己を練り上げ「ある時点に自分の全てを出し切る」という
潔さ、ライブ感には共通するものがあると思う。

 そして特に、ジャンベやドラムなど「奏でるのに身体を使う楽器」に対しては、
身体の使い方や、重心の保ち方など学べ、使える技術(知恵)があると思う。

先日偶然、空手の蹴りの達人、塚本さんの「蹴り」を分析する昔の番組を見た。

こちらです。(蹴りに関しては、14:15秒くらい〜)
この達人の蹴りのスロー映像を見てみると、膝から下の脱力感が凄い。。
足がムチの様にしなり、それが立体的な軌道で動いている。
だから「どう動いているのか?」が見えにくいし、スピードも乗っている。
そこに「武器」としての強みがあるのだと、思える様な映像である。

映像が見えない人に、だいぶ違いますがイメージです。
映像の達人は膝から下がもっとブラ〜ンとしてました。

車の衝撃テストでも分かる様に、「衝撃」は重さとスピードの速さに比例する。
だから蹴りで言えば「衝撃力」、ジャンベで言えば「アタック」を強める為には、
「重さ」と「スピード」の両方を極めるのがその道だが、

身体部位の「重さ」を増す事は中々容易ではない。
手のひらのだけの重さを増やす事はできないし、腕を重くすれば、
それだけ、腕を動かすのにエネルギーを使う事になる。
ただ厳密に言えば、続けていれば、少しずつその部位は重くなるのだと思う。
その証拠に、長年ジャンベを叩いている人の手は、むっくりしている。でも、そこはどちらかというと「後から付いてくる」部分なので、
ジャンベでいう「アタック」を強くしたいのなら、
「スピード」を上げる事に、重きを置いていった方が近道だと思う。
そこには「脱力」がポイントとなるのだが、

その前に、もう一つ映像の中の達人の言葉で、
「斬る様に蹴る」というのがあった。
蹴りを相手に当てる事がゴールではなく、当たった後、手前に引く
軌道までが蹴りのイメージの全容としてある。
と言う事だった。
刀は引いて斬ると言うが、まさしく「アタック」の後の引きつける力が、
駄目押しとなって、「アタック」以上の攻撃力になっている様に見えた。
リズムを奏で続けるジャンベにおいて、この駄目押し的力は、あまり使われない。
大人数での演奏で、みんなにコールを伝える時の渾身の「パラッ」くらい?
が、しかし、
「アタックの後の軌道をイメージ」する事はジャンベを叩く上で、
大きなヒントになりそうだ。
確かに、ジャンベを叩く時「ドン」と思うと同時に手を太鼓の真ん中に
落とすイメージは出来るが、音が出た後の手の動きは「何となく」行っていた。
そこに少し「引き上げる」方にイメージを置き、

直線運動ではなく、立体的に楕円軌道を描く様に、手を動かすと、
流れの中での動きが少しスムーズになった様に感じる。

「脱力」に「軌道」
などと考察していると「ムチ」のイメージが頭をよぎった。
僕は普段、初心者の方に音出し(特に高音)を教える時に、
「ムチをイメージして下さい」と言っていたのだが、
「はて?実際はどんなだっけ」と、ムチの映像を見て見る事にした。
なるほど、ムチはその先端が武器(アタックを生み出す部分)となるのだが、
それをコントロールしているのは、遥か彼方のハンドルストックと呼ばれる
棒状のモノ。その間にはストングと呼ばれる、革ひものよったものがある。
ストングは、革をよったロープ状のものなので、鞭自体に動きがなければ、
ただの紐である。スピードに乗ってこそ、
ハンドルと先端の感覚を完全に結びつける要となる。
幸い?人間の腕の関節は、曲がる方向と可動域に制限があるので、
ムチよりもコントロールしやすいと思うのだが、
少し無理ありますが、色分けるると、こんな感じ??
まぁどこをどう捉えるかは、色々出来るとは思うんですが、、、
とにかく、「ムチの動き」にはタイムラグがあるんです。
「当たれ!」と思い、腕を振った、だいぶ後に先端が対象を捉えてる。
その間に、加速が生まれるから、
直線的な動きよりも「衝撃」が大きくなると言う利点があります。
(余談ですが、ムチを空打ちした際に聞こえる「パーン」という音は、
ムチの先端が、音速を超えて出る衝撃波らしいです。)

が、リズムアンサンブルの中でのタイムラグは致命的。
だから、逆説的に「音よりも先に動き出しいている必要がある。」のです。
腕の振りと指先の感覚を結びつけ、↑図の緑と青紫の部分は脱力させる。
つまり、音をコントロールしているのが、手のひらでなく、腕の動きになる。
そこに、ムチに似たタイムラグが生まれる。

疾走するリズムの中では、手のひらが打面に着く前から、
肘が下方法に動き出し、次の音の為の準備を始める。
そして動きの中で、引きは押しになり、押しは引きとなってくる。
タイムラグをうまく利用し、その押し引きの中心で
バランスを捉える事が出来たら、ブレない音となってくるのだろう。
そのイメージシンボルは無限大

様々なジャンベ叩きがいるが、常人を超えたマスタークラスのプレーヤーには、
皆、「脱力」「回転力」「軌道の美しさ」「軸」を見る事ができる。
いや、ジャンベ叩きだけでなく、やは格闘技、武道、バレー、ダンスなど、
フィジカル要素の多い競技のマスタークラスにも共通するものだ。

これらの共通する要素は、
「果てしなく続く自分の音探しの旅」の心強い味方になってくれるに違いない。















コメント

このブログの人気の投稿

ジャンベの叩き方〜音だし 手のひら編〜

ジャンベには基本の3つの音がある。 「ドン」「トン」「カン」 一つの打面だが低音、中音、高音と音質が変化する。 それに、ダイナミクス(音量の上げ下げ)や、微妙な倍音をわざと出したり、 ちょっとしたことで音は変わるから、 実際は3つの音だけでは無い。  しかしながら、1番大切な三つの音を先ずは出せる様にしよう。   ここから僕の感じた3つの音の出し方を書きます。 あくまでも個人的な見解なので、「そんな感じもあるんだ」くらいに読んで下さい。   立って叩く場合でも、座って叩く場合でも、打面がおへそからおへその少し下に 来る様にジャンベをセットする。 座って叩く場合は、ジャンベ下部の穴を塞がない様に、ジャンベの打面を 少し奥に傾けて、それを両膝の内側で支える様に座る。   肩の力を抜いて、ジャンベのふちに両手を置く。 この時、 ジャンベのふちのアールに合わせて 、自分の手を少し曲げ、フィットさせる。 頬杖付いたときの、手の形の様に、対象を包み込む感じです。 これが、基本の姿勢である。あくまでも 自分にとって自然な姿勢 でこれをキープします。 ドン/低音 /ベースの出し方 3つの音の中でも比較的出し易く、認識し易い音で、一言で言うと、 リムの内側、打面の中央辺りに腕の重さを乗せて、手のひら全体で叩く。 初めは、叩くというイメージよりも「腕を落とす」とイメージする。 例えば、手首に糸を巻いて、脱力した腕を吊り上げられた状態で、 誰かにその糸を、急に切られた様な感じ。 手のひらが皮にぶつかった瞬間に来る反発を素直に受けたら、 トランポリンの要領で、手のひらが上に跳ね上がる。 体重が乗れば乗るほど、落下スピードが速ければ速いほど、反発も大きくなる。 手のひらが当たった時、手のひらの中央は皮にはぶつかっていない。 でも、重心はそこ(手のひら中央)に持ってくる。 音は、太鼓下部の穴から抜けて来る感じ。 それがドンの音。 トン/中音/トニックの出し方。

アフリカ人的リズムの感じ方

  アフリカ人ジャンベ叩きと一緒に叩いたり、観たり体感したことのある人には、 分かるかと思うのだが、アフリカ人のリズムには、何か異質のエネルギーを感じる。   根源的で、野性的で、生命力そのものの美しさ、 それでいてユーモアまで感じるエネルギーを含んだリズムとでも言い表すべきか? 僕自身も色々な理由からジャンベを続けてこれたが、 「アフリカ人の様なフィーリングで叩きたい」 という思いが常にあった。 「一体何が、我ら日本人と違うのか?」と思いたって、アフリカ人の演奏を観察し、 時に同じ生活をする事で見えてきた違いは、 音量、スピード、熱量、前ノリ感、独特の間、ポリリズム感など、 挙げたら切りが無い。 が、その違いを一つ一つ理解して、日本人らしく、論理的かつ柔軟な感覚で アフリカンフィーリングを習得して行ったら良いと思い、 このblogで記録しながら共有してます。 まぁフィーリング(感覚)の話なので、習得には個々人の訓練と慣れが必要になってきます。   そんな今回は、 1番 簡単に アフリカ人フィーリングに近づける方法! 題して 「アフリカ人的リスムの感じ方」 。 それを一言で言うと、 「アフリカ人達は、リズムを最小限で捉えようとする」 と言うことになる。 「リスムを最小限?捉える?」となると思うので、ここで例を、 (B=ベース。T=トニック。S=スラップ。) KUKU (4/4) ジャンベ アコンパ ①は通常どおり、リズム譜にリズムを記したもの。 ②は日本人的リズムの捉え方。 B(ベース)をリズムの頭と捉えて「ドントトッ カッ」とリズムを出している。 この場合、8拍あるうちの、7拍分がリズムへの集中力となり、1拍が休憩となる。 ③はアフリカ人的リズムの捉え方。 S(スラップ)を頭と捉えて、「カッ ドントトッ」とリズムを出している。 この場合、リズムの集中力が6拍分、2拍が休憩となる。 同じリズムではあるが、捉え方によって、休憩できる拍が変わってくる。

平和と調和

「平和と調和、それは似て非なるもの」 いきなりですが、今日は平和と調和について語りたいなと。。 漠然とではあるが「平和」と言う言葉には安心感がある。 シンボルマークはご存知、鳩の足から形取られたピースマーク。 「love&peace」を掲げていた60年代カウンター文化からの名残は、 その後の時代の音楽や映画にも多くの影響を及ぼし、 僕らにとって「平和」や「PEACE」と言う言葉は、身近な表現になった。 しかし、2019年になっても、依然としてその実現は難しい。。。 逆に「調和」は僕にとってあまり馴染みのない表現だった。 シンボルマークは陰陽を現したタオとも呼ばれるこのマーク。 少林寺拳法や、映画キョンシーの中にも描かれていたから、 なんとなくアジア的なイメージのあるマークだけど、 その意味の「調和」と言う言葉を感じて、使うようになったのは、 やはりジャンベ音楽から。 特に誰かと奏でるアンサンブルは「調和」と言う表現がしっくりくる。 そもそも「平和」や「調和」と言う言葉の意味とは?と思い、 ネットで調べると 「 平和 」は、 「 戦争や内戦で社会が乱れていない状態 」の事で、 「 穏やかに、和らぐ、静かで、のどかである 」様とも表現される。 「 調和 」とは? 「 全体が具合よくつりあい、整っている事 」 「 矛盾や衝突がなく、まとまっている事 」とある。 ここで、気付くことが一つ。 「 平和 」は「戦争」が前提としてある言葉ということ。 なるほど、この言葉が叫ばれた時代というのは、 確かに今以上に未知なる戦争の脅威に晒されていた。 混沌とした戦争の時代。その先の光が「平和」だったんだと思う。 しかし「光」があるから、「闇」があるように、実は 「平和」があるから、「戦争」があるとも言えてしまうのだ。 対極して存在することで語られる言葉は二元論と呼ばれ、 会話は考え方にとって「便利」ではあるが、 その視野は二つの点が繋がった「平面的」なモノなので、 それを「立体的」に絡み合う現実世界に当てはめようとしても どこかしっくりこない場所(しわ寄せ)が現れてしまう。 「平和」は人間が作った概