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責任と自由

人は大人になるにつれ、多くの「責任」を背負い混んでいき、

「自由」が無くなったと嘆く。。


しかし子ども時代に「自由に生きていたか?」と問われれば、そうでもない。

学校や親からのしがらみから「はやく自由なりたい」と思ってたくらいである。

写真:黒人奴隷船内部の鳥瞰図。

 僕は子どもの頃、「自分は自由な存在でいたい」という思いが強かった。

当時通っていた野球教室も、行きたくない時が頻繁にあり、そんな時には、

「いざとなったらいつだって辞めれる!そのまま日本一周の旅だって出来る!」

と現実逃避的ではあるが、大きな世界を歩き回る自分を想像した。

その考えの元は、

「人間、裸になったら自由、そして本当はいつでも裸になれるし、
そのボタン(決定権)は自分の手の中にある。」という、

生き物「人間」としての根源的な自由さを感じていたからかもしれない。

子供の発想ではあるが、

「人間はしがらみや所属、関係という多く「服」を着込んでいるから、
窮屈になり、自分の意のままには生きれない状況になる。
からといって「服」を脱ぐのは、寒いし、恥ずかしいし、
間違ってるかもしれないし、簡単な事ではない。
しかしそれらの思いを上回る「何か」が来たり、
厚着しずぎて動けなくなるくらいなら、人間、いつでも「服」を脱いで、
「ただの人間」として生きていける可能性を秘めているのだ」と。

そいやって、嫌な時間が来る度に「取り巻く社会と完全に切り離された自分」

を想像しては、妙な安心感と、想像と現実の間に生まれた余裕のおかげで、
現実への勇気が湧いてきて、野球教室も6年生まで続けることができた。


 しかしながら、大人になると根源的に「裸になる」事を想像しただけでは

やりくりが難しくなって来る。

それは積み上げて来たものや、友達や家族などの「しがらみ」が実は、自分の選択の結果だと言うことに、無意識ながらにも気がついてしまうからである。と言うより多くの時間を「しがらみ」の中で過ごしている為、「しがらみ」の中でしか、自分を感じられなくなっていくのである。

 父として、夫として、ミュージシャンとして、社会人として、、、など、

しがらみや「関係性」の生み出す「立場」中で、生きている時間が殆どになる。

そしてそれぞれの立場上に「責任」と言うものが関わって来て、

がんじがらめにされ「自由」とは切り離された時間に生きていると感じるのだ。

しかし
僕らが「責任」と敬遠しがちなものの正体は実は「義務」であったりする。

そして、僕らが主張する「自由」とは実は、「権利」の事だったりする。

「責任と自由」「義務と権利」とは似ているが異なる。

その違いは、自己発信なのか、他者発信なのか、の違いである。


雇われる事より「自分の好きな事を仕事にしよう」と思うようになってから、

「責任」の認識が少し変わって、「責任は取るものではなく、持つもの」と言う

「責任」が後ではなく、先に立つようになった。

すると、不思議とそこに「自由」を感じるようになった。つまり、

「自分のケツを自分で拭けるのなら、誰も文句は言わない」

状態になるのである。

そうすると「義務や権利」と言うものとも、

日常生活の中でだんだんと接点が無くなって来る。

もちろん選挙、確定申告、税金など、国民の義務や権利と呼ばれる

諸々との接点は、無くなるわけではないが、

誰からも文句を言われずに自分達が自由に生きていく為の「責任」となれば、

物事の見え方も変わって来るのである。


 それを実感するのも、やはり音楽の中である。

ジャンベのアンサンブルを習っていると「義務」と感じてしまう事が多々ある。

儀式や祭りの重要なBGMとして流れる為、基本音楽は止めてはいけないし、

細かく変わるリズムにも、対応しなくてはいけないし、

ソロやダンスの走ったリズムにも瞬時について行かなくてはならない。

しかしアンサンブルの中で、自分の役割を「義務」と感じてしまうと、

ただただキープするだけの機械となってしまう。楽しくないし、



それを突き詰めて行くと、「義務を果たしてるから、ここにいる権利がある」

と言うような変な考えになってしまう。

音楽はやはり、自由なものなので、「責任」という言葉の方が似合う。

アンサンブルの中で、「責任」を持つと言う事は、

自分のパートのグルーブを発し保ち続けることである。

つまり責任(グルーブ)さえ果たしていれば、基本どんなアレンジ(解釈)

をしても大丈夫(誰も文句を言わない)と言う事なのだ。



 例えばジャンベのワークショップ中に、先生がぶわーっとソロを叩いても、

先生が作り出した空間(グルーブ)内での事なので、誰も文句は言わない。

それは、先生側も自分のソロで、グルーブが崩れてしまっても、全体を修正できる

という範疇で、責任持って叩いているし、それが醸し出ているからでもある。

 責任を持って挑む事は先生だけに限ったことではなく、

自由なプレイヤーである為の前提条件なのかもしれない。

自分の音に「責任」を持っている人ほど、その人自身が表に出て来るし、

傍目から見て「自由」に感じるものなのだ。

なぜなら、

責任」は常に一方向(自分)に向いており、外から影響されにくく、

昇華させれば「不動の個性」として認識されるようになる。

逆に、

義務」は外との関係で生じるものなので、多方向であり、ある意味

他人任せ。それぞれの関係から影響を受けやすいから、

義務の中で叩く(生きる)人は、

本当の自分の音(本音)がわからなくなって来る。

つまり、

一つ大きな「自分」に対しての「責任」を持つ事で、

多くの義務から開放されるようになって来る。



僕らは「死ぬ気になればなんでもやれるよう」に、

「自分に責任を持てば、自由に生きられる」のである。

なので、どんどん責任を持って生きましょう!

難しいことのように見えて、簡単で、

簡単なようで、難しい。

音楽も人生も同じ。







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