アフリカには「Magic」という概念がある。
しかしそれはとても大きな概念をあらわした言葉で、
場面によって、魔術、呪術、手品、祈願、治療、お守り・・・などを指す。
ジャンベにまつわる音楽や楽器の中にも、
アフリカ人たちは沢山のMagicを感じており、信じているように思う。
彼らと生活を共にしていると確かに、
Magicという概念で捉えると腑に落ちる瞬間がある。
宗教とはまた別次元で日常の中に神秘があり、そこに生きている。
ギニア人がよく着ている「セラガエ・ドンマ」。
下着としての涼しさもさることながら、
「魔除けの衣」という意味合いで親しまれている。
自分にとって危険な場所に来た時に、ギュッと締まって教えてくれる腕輪や、
自分の姿(気配)を消せるという服を見せてもらったこともある。
そんなマジックに関わる今回、「鉄」について少し書きたいと思う。
「鉄」は地球の総重量の3割以上を有しているそうで、特に珍しい物質ではない。
しかし、人間が自分たちの用途を叶えるためには、
鉱物(自然)を錬金(超越)して精製しなければならない。
まず鉄が「鉄である」事にひとつのMagicがあるということである。
なるほど、ギニアやマリの鍛冶屋達は、いわゆる一般市民達とは少し違う存在で、
世襲制であり、誰もが衝撃的な経験する割礼の儀式、
その重要な歯入れの役を務めている。
だからと言って、
一般人より楽な立場で生活をしているか?といったらそうではなく、
暑いアフリカで、鉄を溶かすほどの熱を出す火を、自力で起こしては、
ハンマーで鉄を叩く事は、労働としても過酷である。
そんな彼らに、一般の人は畏敬の念と、優越感を混在させているようだ。
鉄がアフリカに来る前の太鼓は、乾燥させた木のツルや、
動物の皮でリングを作ったり、ボディに杭を刺したり、
身近な自然界にある物で皮を引っ張っていたんだと思う。
そこに鉄が入って来て、2本のリングで皮を挟み込む技術が生まれ、
ロープで引っ張ることによって、皮のテンションは高くなり、
ジャンベの音色が革命的に変わったのは容易に想像できる。
その音色の変化を耳にした人は、鉄の存在にMagicを感じるだろう。
そして、ジャンベアンサンブルには欠かせないドゥンドゥンも、
片手に鉄の棒を持ち、鉄のベルを奏でる。
つまり、「鉄」はそのまま楽器としても使われるようになった。
ジャンベアンサンブルでの鉄(ベル)の役割は、リズムのパルスを示す物であり、
プレイヤーにとってはある意味メトロノームの役割を担っている。
ジャンベ、ドゥンドゥンは音質として同じ皮ものの打楽器で、
叩かれた、皮に衝撃が伝わり、それが弾けて音がするので、
音が出るまでの時間が比較的長い。
そして弾けて鳴る音に、人は気持ちを高め、心を弾けさせる。
つまり皮の響きは人の高揚感を引き出す力がある。
その皮の音が混ざり合った状態の中で、
鉄(ベル)の音の存在は明らかに、異質であり、波長がちがう。
皮もの同様、ベルの音も絡み混ざり合っていくのだが、
鉄は叩かれ、その衝撃がそのまま音となるので、音の出るまでの時間が短い。
そして、混ざり合った鉄の音は、空間を張り詰めさせ、
聞こえすぎて、聞こえなくなるような不思議な現象を起こす。
鉄の響きはトランス状態へと誘う力があるようだ。
そこも「鉄」がMagicと呼ばれる所以なのかもしれない。
考えてみれば、ンゴニの伴奏には鉄製のギロ「カリニャン」が使われているし、
モロッコのグナワ音楽にも「カルカバ」という鉄製のカスタネットがある。
ドラムのシンバル、ハイハットは勿論のこと、日本の祭囃子、中国獅子舞の音楽、
インドネシアのガムラン・・・など挙げていったらキリがないが、
世界中の音楽の中に「鉄」の響きが多く使われている。
そしてそのほとんどが、祭りなど比較的テンション高めで、
日常とは一線引かれた状況下で使わてれいるのも、
「鉄」の持つMagicなのかもしれない。
だから、ベルのリズムは慎重に扱わなければならない。
人々を非日常へと誘うことができるが故、間違った方向に行くと
非日常的な不快感が押し寄せて来る。
「耳痛〜い!」とな。
コメント
コメントを投稿