スキップしてメイン コンテンツに移動

中国ツアー2019

今年も、行ってまいりました。中国、福州へのワークショップツアー。
着いて一日、中4日の合宿、1日休んで帰国という、
移動時間も含めて慌ただしい1週間でした。

 前回とは違い、「確かな」喜び、楽しみ、学び、を期待されている分、
出発前からのオーガナイザーのキキとコンタクトは頻繁に取っていたが、
現地に行って肌で確かめないと何とも言えない部分も大きかった。
 中国の社会の移り変わりの早さに驚かされた事も多々あった。
それは、意識だったり、便利さだったり、景色だったり、
漠然とではあるが、1年前とは確実に何かが進んでいた。
 アフリカン・ジャンベ業界で言うなれば、今たくさんのアフリカ人達が、
日本よりも中国での活動に可能性を感じている様に、この一年で
たくさんのマスタードラマー達が中国にワークショップに訪れていた。
 ママディケイタを10年越しに見た者からすると、羨ましい環境ではあるが、
「有名マスター」のワークショップに参加しただけで、「先生」を名乗り、
自分のスタジオを開き、ビジネスとして成功している様な現実もある様だ。。
それだけ人口の多さに比例して、アフリカン・ジャンベに興味を
持つ人が、日本に比べて多いと言える。
  
 この一年、本場の波が中国に何度も押し寄せている現実の中、
「日本人が教えに行く」って事にどんな意味があるのかが、今回のテーマだった。
ダンサーユキさんとも日本での事前連絡やリハを経て、この問いについて
問答し、「最終日にやってきた事を撮影する事をゴールに」
一つのステージを作る過程をワークにしようという事になった。
フェフォとマンジャーニ。トラディッショナルの中では、繋がる事のない
曲ではあるが、ジャンベ音楽の楽しさと絡みを感じてもらうには良い曲だった。
たが結局、現地に行ってみないとねっていう事で、後はやりながら変えることにした。

今回は直行便で3時間。楽々に福州に着きました。 
東京とさほど変わらない湿度と暑さの中に、すこしだけフルーツというか
南国の花の様な香りが混じっていた。

去年サポートで一緒にきていた咲ちゃんの旦那、
鶏肉さんが空港まで迎えにきてくれた。
そのままキキのスタジオ「ムムズジャー」まで行くと、丁度ワークショップ中だった。
10人くらいの生徒さんの中には何人か知った顔が混じっていた、
「戻ってきたなー」という感じで、太鼓を叩く事に。
それだけで、一瞬で時間と距離を埋めれる様な、そんな確かめ合いが出来る。
その夜は鳩の肉を食べに連れてってもらい、お酒を飲んで再会を祝した。

 合宿の場所は前回と同じ、福州からバスで1時間ちょっと行った郊外の
農業大学の持つ広い土地。その中に合宿施設があり、新しく建てられた、
練習ができる集会場的スペースがあった。

農業大学だけに周りには畑や田んぼ、水牛までいる環境なので、
毎日のご飯も、取れ立ての野菜が並んでいた。
参加者は全部で30名ほど。前回からのリピーター参加は3割くらい、
キキの生徒さんが多くいたが、ドゥンドゥンバ・ハマナー音楽好きの手練れから、
アフリカン自体初体験という子供、その親までもが来ていた。
生徒の幅としては中々広かった。

 キキのモットーとして「全員太鼓叩いて、全員踊る」というのがあったので、
老いも若きもが、1日6時間以上、太鼓を叩き、ダンスを踊って汗を流した。

 1日目は午後からの半日クラスだったのに、太鼓の叩き方から初めて、
FEFOのイントロブレークとアコンパまで伝える事が出来た。
 ダンスクラスでは、身体のストレッチから動かし方までゆっくりと、ユキさんが
みんなをアフリカンダンスをしやすくなる状態へと導いていた。
こちらもフリ自体は、一日目でみんなに共有する事ができた。
 夜御飯を食べた後は、竹を使って「タケノコ笛」を作るワークショップ。
アフリカンとは直接関係ないけど、身近にある素材で楽器を作る楽しさ、
感性で鳴らせる楽器の面白さ、ってのはアフリカン的発想につながるものだと信じて、
前回の「シャリンビン」同様、無事に全員の笛を鳴らす事に成功させた。

 2日目、FEFOの復習、ソロを2つ。午後はドゥンドゥン、サンバン、ケンケニを
全員がチャレンジ出来た。(そのためにドゥンセット5台持って行きました)

 ダンスも単なる「フリ」から
完成を目指してフォーメーションを意識してやっていたが、
完成の見えていない生徒の中には「?」が渦巻いていた。
それもそのはず、生徒の中にはまだ「完成させる事」のイメージが
出来ていなかったと思われる。
 夜は明日からやるmandianiのダンスで使われる「デンナ棒」をユキさん指導で作る。

そして、完成させたタケノコ笛を使って、円になって1対1のセッションタイム。
円の中に出されれば、何かしらやってくれる中国人「みんなエンターテナー」と
思うと同時に、中国人の本質がこの様に開いているのではなく、
彼ら(アフリカンに興味がある様な人種)だからこんなに自分をさらけ出す事に
躊躇しないのかな?なんて思う。。

3日目、今日からリズムはフェフォからマンジャーニへと移る。
これはどちらもマリンケ系のリズムであるが、前述した通り、リズムの意味合い
に直接の結び付きがある訳ではない。叩かれる時期も違えば、拍子も異なる2曲だ。
 マンジャーニはいわゆる6/8のリズムではあるが、特有のポリリズム感を持った
フレーズが、常にその裏に流れ続けている。
 僕自身このフレーズの習得には時間がかかったし、
「the mendiani」的なそのフレーズを
無視してこのリズムを語ることはできないと、
今回のために、このフレーズに特化したブレークをクリエーションした。

そして今まで、ドラムクラス→ダンスクラスだったのを、思い切って逆にしてみた。
難しいと思われるリズムほど、頭ではなく、
身体に聞かせ、考えない所からスタートした方が良いのではと。
それが功を奏したのか?フレーズは意外な程あっさり、
みんなに浸透していった(本当の意味での習得にはもう少し時間がかかるかと)。

 おかげで、この日の午後のクラス終了時には全員が、ドゥンドゥン、サンバン、
ケンケニまでを叩ける様になっていた。
(これは各ドラムを担当したサポートドラマーの活躍無くしては出来なかった。)
でこの日の最終クラスで、各々自分のやりたいパートを選択、最終日は撮影に向け、
全体練習をしようと言う運びになった。
 この夜は、フェフォで唄ううたをみんなに解説し、新たに5つのチームに分けて、
アフリカの曲をベースにオリジナルの歌詞を作ろう!と言う企画をやった。
(もちろん中国語の、うちのチームは俺が、「ヨウショウ(右手)、ゾウショウ(左手)」しか言えないので、そんな歌詞で作ってくれました。)
 これによって、みんなの中の仲間意識、自主性、創造性、こだわりというのが
あからさまになって、合宿全体の空気感が一変した様に思えた。

4日目、ジャンベ、ダンス、ドゥンドゥン、サンバン、ケンケニ、
誰かが意図したかの様に綺麗に分散され、各パートでの練習がスタートした。
ユキさんは中国の効きすぎたエアコンに慣れず、喉を潰して、ほぼ声の出ない状態。
僕自身も1日6時間以上叩き続けて、久しぶりに「手がいたーい」と人知れず、
熱湯で手を洗い、痛みを我慢しながら叩いてる様な状態。
 先生がそうなら、生徒さんはもっと疲れているはずなのに、完成、やるべき事が
見えてきた彼らは、空き時間を利用して、自主練したり、ギアを一段上げた様に
成長しようとしている様に見えた。

本番撮影は午後の一発目!撮影場所は宿泊施設の前にある半屋外のホール。
そこに置いてある机や椅子をどかして、机の上にドゥンドゥンを縛り付けたりしてると、
宿の人や、工事の人も作業の手を止め、「なんだ?なんか始まるのか?」と集まってきて、図らずともライブの様な状況となった。
 とそんな時、空がゴロロ〜と鳴り始め、ポツリポツリと雨粒が落ちてきた。
ここにあるの太鼓の殆どを所有しているキキは、気が気ではなくなってしまい、
拡声器片手に、「これから撮影するからみんな降りてきてー」と叫んでいる。
 昼寝明けで、寝ぼけ眼の何人かが到着して、衣装に着替え、とりあえずスタンバイ
出来たので、演目をスタートさせる。
 演奏しながらも、「これが本当に4日間の集大成?」と疑問に思ってしまうくらい、
呆気なく終わってしまった。
 演奏が終わって、楽器を持ってみんなで屋根のあるところまで急いで走っている
途中に、寮からバッチリ衣装に包まれた、子連れの生徒さんが降りてきた。
どうやら彼女は、支度が間に合わなかった様で、本番に踊れてなかったのだ、
彼女は涙を流していた。。

 もう衣装は脱いでしまっていたけど、もう一度やる理由ができた。

30分後にいつもの練習場で、狭いけど、全員参加、折角なので、
みんなで作った歌を全て歌って、気持ちを込めてスタートした。

その時の映像はいつか紹介できるといいですね。

勿論、それだけでは終われないから、一つの輪となり、
一人ずつみんなが踊って、ジャンベはそれにソロを合わせてって、
自由なリズムの時間を最後に設けた。
 物語の最後の登場人物紹介の様に一人一人が、光る場面があった。
 「誰もが叩けて、踊れて、楽しい」なんてのは、
アジア人が持つアフリカンへの幻想かもしれない。
現地では、役割は変わらず、リズムに対してもっとストイックだから、
初心者は基本アコンパをひたすらやらされ、ズレ、疲れを見せたら交代、
みたいな環境だから、楽しめるまで行くには相当な時間と、労力が必要となる。
(勿論そうゆう環境がアフリカ人たちの強固なリズム感を養ってるのであるのだが)
僕らがこの日に体験した「誰もが、叩けて、踊れた」のは、本場アフリカンとは
似て非なるものだった。
でも僕らは「誰もが叩けて、踊れて、楽しい」という空間の中にも確かな喜びを
見出すことができた。
そんな幻想を抱かせてくれるくらいアフリカンは寛容な音楽と信じている。
「アフリカ人でない僕らはそんなことを伝えにココにきてるのかも?」
なんて思いながら、合宿の幕を閉じる。

 




コメント

このブログの人気の投稿

ジャンベの叩き方〜音だし 手のひら編〜

ジャンベには基本の3つの音がある。 「ドン」「トン」「カン」 一つの打面だが低音、中音、高音と音質が変化する。 それに、ダイナミクス(音量の上げ下げ)や、微妙な倍音をわざと出したり、 ちょっとしたことで音は変わるから、 実際は3つの音だけでは無い。  しかしながら、1番大切な三つの音を先ずは出せる様にしよう。   ここから僕の感じた3つの音の出し方を書きます。 あくまでも個人的な見解なので、「そんな感じもあるんだ」くらいに読んで下さい。   立って叩く場合でも、座って叩く場合でも、打面がおへそからおへその少し下に 来る様にジャンベをセットする。 座って叩く場合は、ジャンベ下部の穴を塞がない様に、ジャンベの打面を 少し奥に傾けて、それを両膝の内側で支える様に座る。   肩の力を抜いて、ジャンベのふちに両手を置く。 この時、 ジャンベのふちのアールに合わせて 、自分の手を少し曲げ、フィットさせる。 頬杖付いたときの、手の形の様に、対象を包み込む感じです。 これが、基本の姿勢である。あくまでも 自分にとって自然な姿勢 でこれをキープします。 ドン/低音 /ベースの出し方 3つの音の中でも比較的出し易く、認識し易い音で、一言で言うと、 リムの内側、打面の中央辺りに腕の重さを乗せて、手のひら全体で叩く。 初めは、叩くというイメージよりも「腕を落とす」とイメージする。 例えば、手首に糸を巻いて、脱力した腕を吊り上げられた状態で、 誰かにその糸を、急に切られた様な感じ。 手のひらが皮にぶつかった瞬間に来る反発を素直に受けたら、 トランポリンの要領で、手のひらが上に跳ね上がる。 体重が乗れば乗るほど、落下スピードが速ければ速いほど、反発も大きくなる。 手のひらが当たった時、手のひらの中央は皮にはぶつかっていない。 でも、重心はそこ(手のひら中央)に持ってくる。 音は、太鼓下部の穴から抜けて来る感じ。 それがドンの音。 トン/中音/トニックの出し方。

アフリカ人的リズムの感じ方

  アフリカ人ジャンベ叩きと一緒に叩いたり、観たり体感したことのある人には、 分かるかと思うのだが、アフリカ人のリズムには、何か異質のエネルギーを感じる。   根源的で、野性的で、生命力そのものの美しさ、 それでいてユーモアまで感じるエネルギーを含んだリズムとでも言い表すべきか? 僕自身も色々な理由からジャンベを続けてこれたが、 「アフリカ人の様なフィーリングで叩きたい」 という思いが常にあった。 「一体何が、我ら日本人と違うのか?」と思いたって、アフリカ人の演奏を観察し、 時に同じ生活をする事で見えてきた違いは、 音量、スピード、熱量、前ノリ感、独特の間、ポリリズム感など、 挙げたら切りが無い。 が、その違いを一つ一つ理解して、日本人らしく、論理的かつ柔軟な感覚で アフリカンフィーリングを習得して行ったら良いと思い、 このblogで記録しながら共有してます。 まぁフィーリング(感覚)の話なので、習得には個々人の訓練と慣れが必要になってきます。   そんな今回は、 1番 簡単に アフリカ人フィーリングに近づける方法! 題して 「アフリカ人的リスムの感じ方」 。 それを一言で言うと、 「アフリカ人達は、リズムを最小限で捉えようとする」 と言うことになる。 「リスムを最小限?捉える?」となると思うので、ここで例を、 (B=ベース。T=トニック。S=スラップ。) KUKU (4/4) ジャンベ アコンパ ①は通常どおり、リズム譜にリズムを記したもの。 ②は日本人的リズムの捉え方。 B(ベース)をリズムの頭と捉えて「ドントトッ カッ」とリズムを出している。 この場合、8拍あるうちの、7拍分がリズムへの集中力となり、1拍が休憩となる。 ③はアフリカ人的リズムの捉え方。 S(スラップ)を頭と捉えて、「カッ ドントトッ」とリズムを出している。 この場合、リズムの集中力が6拍分、2拍が休憩となる。 同じリズムではあるが、捉え方によって、休憩できる拍が変わってくる。

平和と調和

「平和と調和、それは似て非なるもの」 いきなりですが、今日は平和と調和について語りたいなと。。 漠然とではあるが「平和」と言う言葉には安心感がある。 シンボルマークはご存知、鳩の足から形取られたピースマーク。 「love&peace」を掲げていた60年代カウンター文化からの名残は、 その後の時代の音楽や映画にも多くの影響を及ぼし、 僕らにとって「平和」や「PEACE」と言う言葉は、身近な表現になった。 しかし、2019年になっても、依然としてその実現は難しい。。。 逆に「調和」は僕にとってあまり馴染みのない表現だった。 シンボルマークは陰陽を現したタオとも呼ばれるこのマーク。 少林寺拳法や、映画キョンシーの中にも描かれていたから、 なんとなくアジア的なイメージのあるマークだけど、 その意味の「調和」と言う言葉を感じて、使うようになったのは、 やはりジャンベ音楽から。 特に誰かと奏でるアンサンブルは「調和」と言う表現がしっくりくる。 そもそも「平和」や「調和」と言う言葉の意味とは?と思い、 ネットで調べると 「 平和 」は、 「 戦争や内戦で社会が乱れていない状態 」の事で、 「 穏やかに、和らぐ、静かで、のどかである 」様とも表現される。 「 調和 」とは? 「 全体が具合よくつりあい、整っている事 」 「 矛盾や衝突がなく、まとまっている事 」とある。 ここで、気付くことが一つ。 「 平和 」は「戦争」が前提としてある言葉ということ。 なるほど、この言葉が叫ばれた時代というのは、 確かに今以上に未知なる戦争の脅威に晒されていた。 混沌とした戦争の時代。その先の光が「平和」だったんだと思う。 しかし「光」があるから、「闇」があるように、実は 「平和」があるから、「戦争」があるとも言えてしまうのだ。 対極して存在することで語られる言葉は二元論と呼ばれ、 会話は考え方にとって「便利」ではあるが、 その視野は二つの点が繋がった「平面的」なモノなので、 それを「立体的」に絡み合う現実世界に当てはめようとしても どこかしっくりこない場所(しわ寄せ)が現れてしまう。 「平和」は人間が作った概