「ドゥンドゥンバ」とは、ジャンベと一緒に演奏される筒太鼓のうち、
一番大きい太鼓を指す言葉である。(ちなみに小はケンケニ、中はサンバン)
しかし、楽器以外にもリズム自体を指す事がある。
ジャンベを初めて、1年くらいしたら一度くらいは耳にしたことはあるだろう、
この「ドゥンドゥンバ」というリズム。
初心者〜中級者の前に立ちはだかる「壁」としてある感じが、
ギターで言うところの「Fのコードを押さえる」壁と似ている。
人差し指だけをまっすぐ伸ばして、中指、薬指、小指で弦を押さえるなんて、
日常生活の中で、ほぼない指の形である。
だから「絶対無理!」って、初めは思う。
「手が小さめだから・・・」なんて言い訳もしてみるが、
自分より小さい手の人が容易にFを押さえているのを見たりもする。
そこで諦めずに練習して、何とかFの音が出せる様になると、
F♯も、GもG♯も、A、B、B♭、C、C♯も・・・つまり全ての音が、
その手の形をスライドさせれば出せる事に気がつく。
つまり、
楽器自体を諦めさせうるほど、越すのに苦労する壁だが、
超えた後に、音楽的世界がぐわーっと広がっていくところが、
ギターのFとドゥンドゥンバの似ている点である。
今回はそんなリズムの「ドゥンドゥンバ」のお話を少し。。
そもそもですが「ドゥンドゥンバ」とは、
西アフリカのギニア、ハマナ地方を中心に周辺で踊られる
マリンケ族の「男の世代間闘争」の為の伴奏曲。
昔は血を流すほどの戦いをしていたそうですが、
今では、首都コナクリの結婚式で毎日の様に叩かれ、女性も踊るポップな扱い。
ギニア中のみならず、西アフリカ周辺国でも人気リズムとなっています。
その人気の秘密が「メドレーシステム」にあると思います。
先ほどから「ドゥンドゥンバ、ドゥンドゥンバ」言っていますが、
実は「ドゥンドゥンバ」と言う名前のリズム自体はありません。
「ドゥンドゥンバ」とは何十種類とあるリズムの総称の事。
例えば、dundungbe,bata,bolokonondo,takosaba,takonani.......と言う様に、
一つ一つに、違った名前が付いています。
なので全てのリズムを「ドゥンドゥンバ」と省略して言っていますが、
それは「ドゥンドゥンバファミリー」と言う意味合いで使っています。
「男の決闘」の色んなシーンにBGMをつける様に、
リズム一つ一つに意味があって、
踊りやステップ、リズムの尺の長さまで変化に富んでいます。
数あるリズムが「ドゥンドゥンバファミリー」として称されるのは、
伝統的な意味合いはもちろんですが、音楽的にも共通点があります。
その共通点とは、
1・コール音(ジャンベのシグナル)=パタピパタパッ
2・ケンケニのリズム =・・K・KK
3・サンバンとドゥンドゥンの関係性。
の3点ではないかと考察されます。
1・コール音
どの曲も「パタピパタパッ」と言うコール(シグナル)で始まる。
曲を始めるだけでなく、このコールはドゥンドゥンバ中に多用される。
普通コールは「何か」の為の合図として使われる。
「曲を始める」「ダンスの振りを変える」「ブレイク(ユニゾン)になる」
「曲を終える」とか、だから、迂闊にコール音を出すことはしない。
しかし、「ドゥンドゥンバ」ではソロ中にも関わらず、
突如このコール音が入ったりもする。
なのでコールといっても扱いは他の曲とちょっと違う。
その証拠に、このコールで「ダンスを変えること」も「曲を終える」事も
出来ない。それらはまた別のフレーズとしてある。
2・ケンケニ
そして、このコールの後にリズムが入るのだが、メトロノーム的役割の
ケンケニがいきなりオフビートで乗ってくるのである。
このオフビート感が「ドゥンドゥンバ」を壁と感じさせてしまう一番の要因。
しかもフレーズ自体は、ジャンベの一番最初にならう伴奏パターンと同じ。
散々、そのフレーズをオンビート叩いた後だから、
余計にオフビートで聞く事が難しくなる。
音楽を文章で説明することは難しいのは百も承知だが、
一応、ケンケニのフレーズをここに表現して説明しようと思う。
ケンケニ
1・・2・・3・・4・・
K K K K K K
ジャンベ・伴奏1
1・・2・・3・・4・・
S T S S T S
これが、ケンケニとジャンベ・伴奏1を譜面に表したものである。
1、2、3、4と書かれたところがオンビート。(手拍子を打つところ)
「・・」で表現されているところが、オフビートとなります。
つまり、ジャンベ・伴奏1では、S(スラップ)の位置が、ずーとオンビートを
叩き続けています。
一方、ケンケニは、Kの位置が、ずーっと2つ目のオフビートを叩いています。
フレーズ自体は同じリズムなんだけど、拍子(視点)の捉え方が違います。
「慣れ親しんだ捉え方を変える」事が、また難しいことの一つなのです。
例えば、外国に行って、左ハンドル、右側通行で車を運転して、
対向車が全て、自分に突っ込んでくるような恐怖に陥ってしまうのも、
日本で慣れた運転ルール(右ハンドル、左側通行)の感覚が、無意識に反応し、
右側車線にいること自体を、どこか不自然に感じて、頭とは裏腹に、
感覚が左車線に行こう行こうとしまうから。
『いつもの感覚は、(似たような)新しい感覚が入ることを邪魔する』
のである。なので、
この場合、聞き慣れたフレーズを裏と捉えようとすることを一旦辞めてみる。
改めて、ケンケニを表すと、
ケンケニ
1・・2・・3・・4・・
K K K K K K
思い切って拍子(視点)を変えて、聞き方を変えてみる。
1・2・3・1・2・3・
K K k K K k
そうすると、リズムはワルツになってくる。
小学校頃のカスタネットで叩いた「ウンパッパッウンパッパッ」
そう聞いて、最後の小文字のkは後ろに来るおまけ音と捉え、
1・2・3・1・2・3・
ウンパッパぱウンパッパぱ
ケンケニのフレーズとなる。
ケンケニもワルツに捉えれば、似た感覚という理由で引っ張られにくくなる。
しかしまあ、拍子を変えて捉えることも、簡単ではないかも知れません。
なので6/8拍子のオフビートというものを今一度考えてみましょう。
1・・2・・3・・4・・
K k K K k K
今度は視点はそのままに、二つ目のkを小文字にして、
小文字のkを消して大文字のKだけを聞いてみる。
1・・2・・3・・4・・
んっけんっけんっけんっけ
そうすると
1・・2・・3・・4・・
んっはいーやいーやさっさ
阿波踊りや沖縄民謡なんかに出てくる「合いの手」の掛け声となる。
「合いの手」は落ち着こうとする歌を、持ち上げる働きがある。
実際ケンケニを叩くと、自分のベルもあったり、他の音もあったり
なかなかそんな風には聞こえないかも知れないけど、
声で「合いの手」を入れる時、人はオンビートがどこか?とは考えない。
何と無くかも知れないが、
「合いの手」は自分をオフビートと認識しながらではなく、
ただ「んっはいーやいーやさっさ」というフレーズを歌っている感覚に近い。
そうするとフレーズの持つ力で、自然とオフビートが強調されて
聞こえるようになってくる。
「歌えるものは叩ける」これはジャンベ界の常識である。
6/8拍子のオフビート感を掴むには、
「合いの手」の気持ちでいることが近道かも知れない。
こんな風に色んな感覚を駆使して、試行錯誤した結果、
ある時、僕もこのケンケニを自然に叩けるようになった。
ドゥンドゥンバファミリー(に限らず)のケンケニは、
何かと合わせよう(ズラそう)としながら叩くのではなく、
出来れば自らの声(フレーズ)にノリながら放つ方が良い。
(独りよがりじゃなく)
そうすると、ドゥンドゥンとサンバンがそのノリの上に、
会話するように乗ってきてくれる。
でもそのおしゃべりを、聞き入りすぎると、引っ張られてしまうことがある。
あくまでも、自分の声(フレーズ)を歌いながら、
二人の会話を、ちょっと高い位置から「うんうん」と聞いてあげる感じ。
口出しはしない。(年の離れた長男・長女的な気質ですね)
『一番小さい太鼓だけど、みんな俺(ケンケニ)の手の平で転がされてるだけ』
そう思えたら十分です。
少しと言いつつ、長くなったので、次回に続きます。
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