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「繋がる」感覚とは何か?

 久しぶりにコラムでも書こうかと思います。

突然ですが、先日、


アフリカンの魅力を説明する時にたまに出てくるキーワード 


「繋がった感じ」についてよくよく考えてみました。


 漠然とした表現で、何となくで共有してる感覚なのですが、


僕の中で「繋がる事」には大きく2つの認識があるなと。


①アフリカンを通しての出会い、から人間関係が繋がっていく事。

②音楽の中で、以心伝心や一体感を感じるような瞬間。


 どちらもある程度アフリカンを続けてった先にある醍醐味である。


一人では再現不可能で、言葉を超えたコミュニケーションのひとつの形。


2つの「繋がる」は別の次元だが、それこそ根底は繋がっているのかもしれない。


一つ一つ掘り下げてみようと思う。


まずは、後者の「音楽の中で繋がる」という事について。


そもそも、アフリカ音楽は西洋音楽と対照的と語られる事が多い。


確かに、楽譜のように楽曲の内容を細かく記したものはなく、


リズムの大枠だけ決まっている。(リズムの持つ意味合いの方が重要)


後はその場で偶発的に生まれる出来事によって、


フレーズやテンポ、ヴォリューム、時にリズム自体が変わるという音楽である。


つまり、演奏者には超瞬発的な判断力と表現力が求められる。



 僕がアフリカで見てきた祭りは、どこも太鼓が鳴り響くと、群衆が集まり、


どこからきたのか?1人、また1人と踊り手が出てくる。


そしてその都度、ジェンベソリストが踊り手に合わせてソロを叩くのだが、


名人が叩く太鼓を見ていると、ダンスに合わせているというよりも、


叩くフレーズ自体がダンスそのものになって見える時がある。


 ダンスも太鼓も同時に放たれているのに、ぴたりと合う。


個と個の対峙なのに共鳴して、一つの表現になった様な瞬間。


それまで固唾を飲んでいた群衆も、演者に共鳴した様にここぞとばかりに叫ぶ。


そしてますますヒートアップする演奏と踊り。


その時、会場は紛れもなく一つになっている。

そんな場面を目撃するたびに「音楽のマジック」と心で思っていたが、


それこそが、音楽で繋がった状態であると言えるのかもしれない。



 こう言うとすごく崇高な感じがしてしまいますが、


誰かと太鼓を叩く中で、自然に笑顔になったり、息があったり、


言葉話さなくとも分かり合える瞬間というのも


ある種の「繋がった」状態なんだと思います。


それは、


子どもの頃はよく友達と一緒に空想の世界で遊んでた時の様な、


祭りで見た大人の一体感や高揚感に圧倒された時の感情や、


部活や合唱コンクールなんかでも感じた団体が一体になる瞬間に似ている。


(逆に災害時などの群衆パニックもある意味「繋がった」状態なんだと思います。)


 良くも悪くも、色んな種類の「繋がる」があると思うんですが、



飛んで火に入る夏の虫のごとく、



人間も「他人と繋がる(共鳴する)」性質を持ち、


大いなる何かや、世界と「繋がりたい」という欲求があるんだと思うんです。


それは、恋人や家族など特定の誰かと「繋がっていたい」とゆう思いよりももっと、


種としての原始的で、無意識の領域に近い所で。


 話が壮大になりすぎましたが(汗)



今回の僕の考察の出発点。


誰かと太鼓を叩いてて感じる「繋がる」事とは、


つまり「心拍数(気)が合ってくる」事なんじゃないかな?と。


そもそも僕の好きなヨガの本に、


「人間、誰かと一緒に笑うと自然と呼吸が合って来て、心拍数が合って来て、


気が合ってくる。そして気の合う者同士になる」と書いてあり、


なるほどなと思ったんですが、太鼓も同じく、同じリズムを叩くの中で


自然と呼吸が合い、心拍数も合ってくる(多分)。



心拍数はある意味、自分の状態(気分)を表したモノでもある。


状態(気分)が合って来れば、想いも伝わりやすいというわけ

同じ自分でも、マラソン走っている時と、寝起きではテンションも思考も違う。


緊張している時は、バクバクするし、リラックスしてらたトックトック鳴る。


 街を歩けば、そこに歩くそれぞれがそれぞれの事情と気分で生きている。


そんな喧騒の中を歩いて来て、その日集まった仲間達と、


太鼓を通して、「繋がった感じ」を一度味わってしまうと、


リズムのシンプル&ディープさや、リズムの背景と相まって


ジェンベが一層好きになる。ダンサーはダンスが好きになる。


そうゆう瞬間は確かにある。




それは色々なレベルやタイミングがあり、なかなか味わえないモノでもある。


そもそもジェンベは、はるか遠い国の伝統音楽であり、


アンサンブル=人と人とが織りなす音楽なので、


会話の基本ルール的な役割や文法、単語を知る必要がある。


またそのルールを知るメンバーが集まったとしても、


全ての人がその日「繋がりたい」と望んでいるとは限らないからである。


でも、


上手い下手ではなく、その空間がアフリカの音楽で一体になる。


それはここ日本で客観的に見てしまったら、


とてつもなくどーでも良い事だし、怪しくも見えるかも知れませんが、


当事者にはとても有意義な時間となっているんです。



 たかが太鼓を叩いていただけですが、


それは親友に心のうちを話した様な、誰かと認め合えた様な、


そんな清々しさがあります。



 だから自然と前者の様に、人間関係も繋がってゆくと思うのです。



ジェンベマスター達の「ジェンベが僕を色んな所につれて行ってくれる」


という言葉は紛れもない真実だと思います。



まとめます。ナニが言いたいかっていうと、


誰かと気持ちよく叩けた日は、きっと呼吸や鼓動レベルまでアンサンブル出来てて


逆に、気持ちよく叩けなかった時は、自我が壁を作っていたり、


誰かの自我がその場を支配しすぎていたりと、人間関係発端だったりもする。


リズムアンサンブルも人間関係も「繋がるモノ」だからこそ、


繋がる者同士、その場に心開いていている事が重要なんだと思います。


(大抵ジェンベの音色を聞いてると、叩いているうちに素直になってくる)




 繋がると言われても、社会に出れば干渉し合わず、が原則で、


仕事中は会社の求める心拍数で生きなければならない。


だから普段僕らの心拍数(気分)は、


共鳴し合う事よりも、いかに影響されないようにするか、


という事の方に比重がかかっていると思うんです。


 そんな中、アフリカ音楽は僕ら日本人に


「無意識下に眠っていた繋がる欲求」を再発見させてくれ、


漠然と大きな所で繋がっているという安心感を送ってくれているのかも知れない。




アフリカよ、本当にいつもありがとう!


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