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6月の予定

  
 コロナ自粛でワークショップを中止して2ヶ月以上が経ちました。
その間、アフリカサカバで動画を作って、メッセージを発信したり、
アフリカモン では、不特定多数に向け「アフリカモン のテーマ」
PVの参加を呼びかけてみたり、
お家中心ではありますがアフリカンとその普及活動は細々と続けておりました。

 その間、リアルタイムでは一人でやる時間が多かった分、
生で誰かと合わせることの贅沢さに気が付きました。。
 本当人間てやつは「普段何気なくしていたこと」が、
出来なくなって初めて、その大切さに気付くんです。
 そして、時間の過ごし方、使い方という事も今回多く
気がつかされました。
今までのルーティーンから抜けてみた時に、
やはり客観的に必要なものや、不要だったものが見えてきたりします。
 社会が止まり、強制的にストップをかけられた多くの人たちは、
僕と同じように、生き方の選択を迫られたんじゃないかなと思います。
 これから、ますますオンライン化が普通となり、
「生」という事にポジティブにもネガティブにも、
付加価値が生まれて来る時代になって来ると思います。

 この時代の波が大きく跳ね上がる今、僕自身も自分の働き方が
「今まで通りで良いのか?」と言う問いと問答し続けていました。
が、答えはまだ出ていません(笑)。
 でも進むべき、方向性は何となく見えてきました。
それは「オンラインと生の両立」。。。。。
 まぁその手始め的な活動として、部屋に防音室を作りまじめました(笑)
リアルが一番大切だと今回思いましたが、そのリアルをオンラインで
サポート出来るようなシステムが作れたらなと思っています。

前置きが長くなりましたが、
6月からアラカリ ワークも再開しようと思っています。
で、再開に伴い料金を変更しようと思っております。
今まで、3時間枠(休憩、搬入搬出込み)2000円でやっておりましたが、
500円上げさせて頂いて2500円にさせて頂きたいと思っています。
 ずっと2000円にしていたのは、「負担を少なく長く続けて欲しいから」
と言う思いがありましたが、
僕自身ワークショップを続けて12年、
教えることへの経験値が上がったと言う事と、
環境も状況も開催当初とは違うと言う事を考慮させて頂きました。
 2時間枠=2000円と言う考えもありましたが、
感覚に叩き込む時間を多く取りたく、「3時間枠」の方を優先しました。

以前から何人かにご指摘頂いて、料金改正は考えてはいたのですが、
タイミングも決断力も無く、今日に至っていました。
 またいつ中止を余儀なくされるか分からない、と言う前提条件つきの
「再開」時に今回の決断をさせて頂きました。
以前から、通ってくれている方々には申し訳ない気持ちは勿論あるのですが、
ご了承ください。 

またンゴニワークに関しては当面の間、お休みにしようと思っています。

 細かいところは、皆さんにお会いした時に相談しながら決めたいと思います。
本当に長くなりましたが、

ワークショップ

オープンクラス
6月21日(日)11:00〜14:00 @ 親水公園
6月27日(土)19:00〜22:00 @ 片瀬しおさい

プログレスクラス
6月22日(月)19:15〜22:00 @ 六会公民館
6月29日(月)19:15〜22:00 @ 六会公民館

ペティクラス
6月11日(木)11:00〜14:00 @ 親水公園
6月18日(木)11:00〜14:00 @ 片瀬しおさい
6月25日(木)11:00〜14:00 @ 片瀬しおさい

トライアルクラス
6月 8日(月)11:00〜14:00 @ 親水公園
6月15日(月)11:00〜14:00 @ 親水公園
6月22日(月)11:00〜14:00 @ 六会公民館 会議室
6月29日(月)11:00〜14:00 @ 六会公民館 音楽室

※親水公園開催日は雨天中止です。
※公民館のガイドラインにより、窓のない部屋の使用ができなくなりました。
 (片瀬第一談話室、村岡文化室、など)
※人数制限が部屋のキャパの半分の人数になりました。
 (ちなみに、六会音楽室がキャパ30人なので、15人までは大丈夫)
※その他、公民館使用の場合は、公民館のガイドラインに従う。

 今月も皆さまよろしくお願いします。














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ジャンベの叩き方〜音だし 手のひら編〜

ジャンベには基本の3つの音がある。 「ドン」「トン」「カン」 一つの打面だが低音、中音、高音と音質が変化する。 それに、ダイナミクス(音量の上げ下げ)や、微妙な倍音をわざと出したり、 ちょっとしたことで音は変わるから、 実際は3つの音だけでは無い。  しかしながら、1番大切な三つの音を先ずは出せる様にしよう。   ここから僕の感じた3つの音の出し方を書きます。 あくまでも個人的な見解なので、「そんな感じもあるんだ」くらいに読んで下さい。   立って叩く場合でも、座って叩く場合でも、打面がおへそからおへその少し下に 来る様にジャンベをセットする。 座って叩く場合は、ジャンベ下部の穴を塞がない様に、ジャンベの打面を 少し奥に傾けて、それを両膝の内側で支える様に座る。   肩の力を抜いて、ジャンベのふちに両手を置く。 この時、 ジャンベのふちのアールに合わせて 、自分の手を少し曲げ、フィットさせる。 頬杖付いたときの、手の形の様に、対象を包み込む感じです。 これが、基本の姿勢である。あくまでも 自分にとって自然な姿勢 でこれをキープします。 ドン/低音 /ベースの出し方 3つの音の中でも比較的出し易く、認識し易い音で、一言で言うと、 リムの内側、打面の中央辺りに腕の重さを乗せて、手のひら全体で叩く。 初めは、叩くというイメージよりも「腕を落とす」とイメージする。 例えば、手首に糸を巻いて、脱力した腕を吊り上げられた状態で、 誰かにその糸を、急に切られた様な感じ。 手のひらが皮にぶつかった瞬間に来る反発を素直に受けたら、 トランポリンの要領で、手のひらが上に跳ね上がる。 体重が乗れば乗るほど、落下スピードが速ければ速いほど、反発も大きくなる。 手のひらが当たった時、手のひらの中央は皮にはぶつかっていない。 でも、重心はそこ(手のひら中央)に持ってくる。 音は、太鼓下部の穴から抜けて来る感じ。 それがドンの音。 トン/中音/トニックの出し方。

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平和と調和

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