スキップしてメイン コンテンツに移動

アラカリさんち



時の流れ、出来事のサイクルの加速を肌で感じる2012年。

2012年が幕を開け、すぐにアフリカへと旅立って行った僕が、3ヶ月経って

地元に帰ってくると、周りの状況も一変していました。

浦島太郎状態。。。

今まで演奏していた仲間同士、上手くタイミングが会わなくて、自然解散

していたり、家庭の事情で今は音楽できない状態だったり、自分の道を見つけ、

自分の求める音楽を探しに行く者がいたり。

水面の波紋がどこまでも広がるように、人々が自分の周りから離れていく様な、

そんな感覚に一瞬陥ったけど。それは違う。

皆、より自分らしい道を見つけて、そっちへ流れていっただけ。自然に。

アフリカに行って帰ってきた僕自身も、同じ。

より自分らしい道がうっすら見えてきて、伝えたい事、

共有したい思いがあるから、表現の場に出来るだけ顔を出してた。

そんな時、自分が父親になる事を知った。

そしてふと自分の中にあるカタチを表に出す時は、ちゃんと自分の名前を

背負っていかなければいけないと感じました。

顔の見えない人の語る言葉よりも、顔の見える人の放つ言葉のように、

責任は生まれるが、いっさいがっさいが生で伝わる。



そして波紋が何かにぶつかると、中心に向かって還ってくるように、

そんな状況でも?だから?ご縁のある人は自分の前に現れるから不思議。

麻はかで一緒だったギターリストのゴン太さんと、アフロピーナッツの相方

くまちゃん。2人とも尊敬できるアーティスト。

そんな2人が、僕の思いに共感を持ってくれて、再び一緒に音楽をやる事に。

それが「アラカリさんち」。先日鎌倉のmowaでライブデビューを果たしましたが、

新しいライブがありますので、告知させてもらいます。


6/15(fri) アラカリさんち  live @ 平塚 ヘチカンhttp://hechikan.vs.land.to/about.html




6/17(sun) 一二三&アラカリさんち live  @  大船 空や
http://sorayanews.exblog.jp/



アラカリさんちプロフィール

2012年、5度目のアフリカ旅行から帰ったアラカリ(大輔)と、

鎌倉で夢を追う、石とお酒の好きなギターリストゴン太、

山梨の山奥から出てきた太鼓好き熊さんこと、佐藤kuma-chang慶吾の

3人が文字通りアラカリのお家でセッションを重ね生まれた音楽。

   ンゴニ(アフリカンハープ)、ギター、パーカッションで、奏でる

  アフリカの匂いのする小躍り系ダンスミュージック。



コメント

このブログの人気の投稿

アフリカ人的リズムの感じ方

アフリカ人ジャンベ叩きと一緒に叩いたり、観たり体感したことのある人には、
分かるかと思うのだが、アフリカ人のリズムには、何か異質のエネルギーを感じる。


  根源的で、野性的で、生命力そのものの美しさ、
それでいてユーモアまで感じるエネルギーを含んだリズムとでも言い表すべきか?
僕自身も色々な理由からジャンベを続けてこれたが、
「アフリカ人の様なフィーリングで叩きたい」という思いが常にあった。
「一体何が、我ら日本人と違うのか?」と思いたって、アフリカ人の演奏を観察し、
時に同じ生活をする事で見えてきた違いは、
音量、スピード、熱量、前ノリ感、独特の間、ポリリズム感など、
挙げたら切りが無い。


が、その違いを一つ一つ理解して、日本人らしく、論理的かつ柔軟な感覚で
アフリカンフィーリングを習得して行ったら良いと思い、
このblogで記録しながら共有してます。
まぁフィーリング(感覚)の話なので、習得には個々人の訓練と慣れが必要になってきます。

  そんな今回は、1番簡単にアフリカ人フィーリングに近づける方法!


題して「アフリカ人的リスムの感じ方」



それを一言で言うと、
「アフリカ人達は、リズムを最小限で捉えようとする」
と言うことになる。
「リスムを最小限?捉える?」となると思うので、ここで例を、
(B=ベース。T=トニック。S=スラップ。)
KUKU (4/4) ジャンベ アコンパ


①は通常どおり、リズム譜にリズムを記したもの。

②は日本人的リズムの捉え方。
B(ベース)をリズムの頭と捉えて「ドントトッ カッ」とリズムを出している。
この場合、8拍あるうちの、7拍分がリズムへの集中力となり、1拍が休憩となる。

③はアフリカ人的リズムの捉え方。
S(スラップ)を頭と捉えて、「カッ ドントトッ」とリズムを出している。
この場合、リズムの集中力が6拍分、2拍が休憩となる。


同じリズムではあるが、捉え方によって、休憩できる拍が変わってくる。
休憩が増えるということは、それだけ楽にリズムを捉えることができるのです
もう一つ、よく叩かれるリズムで見てみましょう!
KASSA(4/4)ジャンベ アコンパ

①は通常どおり、リズム譜にリズムを記したもの。

②は日本人的リズムの捉え方。
拍の頭をリズムの頭と捉えて「カッ カカットト」とリズムを出している。
この場合に至っては、休憩の拍がなくなり、…

アーティストとして生きよう!

アーティストとして生きる。言うは易しだが、 誰にでも簡単には出来る生き方ではない。
結論から言うと、僕の思うアーティストとは、 自分の表現に責任を持って生きる人のことである。 その時点での自分を肯定して、湧き出るものを躊躇せずに出せる者。 人からなんて思われようと、自分にOKとGOの出せる人である。 そして時に、空気が読めないと思われる人でもある。
そもそも「アーティスト」と言う言葉には沢山の意味が含まれている。
語源はラテン語で「職人の技術」、そしてアート(芸術)ィスト(の人)で 「芸術家」「美術家」とも呼ばれ、「その道の達人」や現代では、 「歌手」や「バンド」そのものを指す言葉でもある。
何を持っての「アーティスト」なのかが今回のテーマなのですが、
 とりあえずは、自分の内側から「何か」を創り出して、 それを世に出している(自分を表現している)人たちの様である。
僕の様な、暮らし方をしていると、そのような人達と日々出会うわけです。 アーティスト達はライブのステージ上(自己表現の場)だけでなく、 会場の中にお客さんとして混じっているっていることもあります。  その彼は、自己表現しているつもりなくても、会話や行動の中に、 自然とアーティストな雰囲気が出ていると言うわけです。 何故僕がそれを感じられるのか?と言うと、僕の目に写るアーティスト達は、 一様に「自分に疑いなく、自分に率直な雰囲気」を醸し出しているからです。 それが、服装に現れて、あからさまに分かる人もいれば、 スーツ姿でも隠しきれない個性を出している人もいるし、 服装が派手でも、中身は懐疑主義ということもある。
当たり前だが、アーティストとは見た目うんぬんではないということ。
人間、想像という作業は、多くの時間で行なっていることであるが、 それに行動を伴い、創造物や結果としてアウトプットさせることは中々ない。 その理由の一つとして、自分の中にいる完璧主義者の声である。 「こんなものでは、稚拙すぎる」とか「もっと、良くなるはずだ」とか、 「こんなの駄作だ」とか「今の自分には出来るはずない」とか、、、 ある意味、自分が上に行くためには必要なはずの言葉ではあるが、 誰かと比較することに慣れ、そうゆう言葉を自分に浴びせ続けて来た大人は、 すでに行動する前からこの声を聞き、 やがて行動を起こす事から戦線離脱してしまうのである。 行動を起こすことを辞めると、自分の本当の声というものカ…

声と音色。話し方と叩き方。

以前の記事で「ジャンベには基本的な3つの音がある」と紹介しましたが、
この3つの音をクリアに、自由に操るためには、相当な時間がかかります。

初めは「何となく音が分かれてるかな?」くらいから始まると思います。
勿論、その状態でもリズムアンサンブルとして楽しめるものですが、
上手な人や、音の大きな人と叩くたびに、
「もっとクリアに自由に良い音を出せるようになりたい」という課題が現れる。
そして、長く太鼓を叩く中で、手が痛くなったり、どこかを痛めたり、
速さに追いつかずに腕が止まったり。そんなことをを繰り返して、
 太鼓と友達になって、初めて自分の音を手に入れるような気がします。

太鼓の「音」をアフリカの言葉で「Kan」といいます。
この「Kan」は「言葉」という意味であり、「声」という意味でもある。
つまり、アフリカ人たちは「(楽器の)音」も「声」も「言葉」ですら、

同じ意味合いとして、捉えている訳です。

 なるほど、僕も長年色んな人ジャンルの太鼓叩き達と太鼓を叩いてきましたが、
叩き手の出す太鼓の音色やフレーズは、
そのまま叩き手のパーソナリティーを表してる
と感じてきました。
 声の大きない人、自分を余り表に出さない人、すぐふざける人、真面目な人、
おしゃべりさん、無口、自信がある人、自信がない人、etc.....
 太鼓がシンプルな楽器だからか、
そうしたシンプルで根源的な特徴ほど、音によく現れる。
もちろん、その時の心情や気分も変化しながらも影響していて、
太鼓を前にした時に、自分自身で自分の強い感情に気づく事もある。
 いわば、太鼓を叩いていくうちに、自分のそうした根本的なエゴの部分や、
自身の変動的な感情に対峙させられ、音楽的に成長するために、


自分の心の癖をも修正しようと試みる事になる。
だから楽器の習得は人生の縮図のようなものなのだ。
自分の良い所も、悪い所も、生き様も、癖も赤裸々に見せてくれるだけでなく、
楽器を始めて触ってから、出来ることを増やしていく過程は、
0歳から初めて成長してゆく過程をもう一度味わうチャンスなのだ。

そして突き詰めていくと自分ではマイナスに見えていた要素も、
その人の叩き手としての魅力の一部となり、見ている人を熱くさせたりする。

生まれながらに「美声」を持っている人がいるように。
初めてジャンベを叩いたのに「綺麗な音」を出せる人もいる…