スキップしてメイン コンテンツに移動

ブルキナファソ①

今日ボボデュラッソから首都のワガドゥグに帰って来ました。

イヤー予想以上にボボデュラッソにはまってしまい、今だギニアには着いていません。

明日チケットを探しに行く予定です。

ボボから何度もblogを書こうと思っていたのですが、なかなか良い環境に出会わず、

今日に至ってしまいましたが、以下2週間前の日記を添付します。

なお写真を添付したいのですが、どうやらI-padからは無理そうです。

後日、まとめて添付したいと思います。



ブルキナファソに来て早いもので1ヶ月がたちました。

なかなか良いネット環境に出会えなくて、日本語打てなかったり、

たまに、知り合ったベルギー人の泊まってるホテルに

wi-fiしに行ったりもしたけど、落ち着かなかったりで。

近況報告がつぶやき程度になってしまいました。

しかし今日free wi-fiと書いてあるレストランを見つけたので、

早速旅の経緯と近況報告と行きたいと思います。(結局ここからも送れず。。。)

ブルキナファソは実に様々な民族がいて、首都ワガドゥグはモシ。

ボボデュラッソは、マンデ系のジュラ。と言うように、

場所によって話す言葉、文化が全然違う。

フランスからの飛行機はワガドゥグに到着したのだけれど、

求めている音楽はもっと西(マリ寄り)にあるだろうと、

わずか3日でワガドゥグを後にして、ボボに降り立つ。

始め街から少しは慣れたZionというホテルに滞在するも、

いるようでいないミュージシャン。2日間、街やらホテル近郊を

徘徊する。ボボ滞在2日目の金曜日、今夜ホテル近くのfarafinaという場所で

LIVEがあるからと、昼食ついでに下見に行ってみる。

そこで英語で話しかけて来たのが、今の先生アブロ。

西アフリカで英語を話す人と出会うのは容易な事では無く、

ギニアでの先生の名がイブロだった事もあり、これは何かあるなと、

彼の言うがまま、彼のファミリーの部屋を借り、翌日からレッスン開始。

アブロはセヌフォ族のドンソの村で育ち、幼少から音楽の才能を発揮し、

近年は隣国ガーナやトーゴ、ヨーロッパにも伝統音楽を教えに行っている。

今回もたまたまガーナから帰って来たところで僕らに出会ったようだ。

本当に全てはタイミングで回っていらっしゃる。

さて、それからは午前中はジャンベ。午後にバラフォン、ンゴニと

教えてもらっているが、一人3役の先生。なかなか予定通りに進まなかったり

、疲れてしまう事もしばしばありますが、うーーーんそれもアフリカ。

今ではアフリカンタイムにも大分慣れて来ました。

  そんなこんなで2週間ほどボボで過ごした後に、アブロの村に行く

と言う話になり。気付いたらジャンベ2台、バラフォン2台、ンゴニ2台、

バックパック3つ、バイク一台を車に積み込み、夜逃げの様にボボを出る。

村へはボボから約4時間の旅。途中オロダラと言う街まではアスファルトが

ひいてあったのだが、それ以降はいわゆるダートをひた走る。

村に来て始めて凄い所に来てしまった!と自覚する。

その夜、ファミリーの長、ヤヤの部屋に呼ばれる。部屋に入ってビックリ。

狭い部屋に動物の頭蓋骨、血の付いた儀式用の祭壇、意味不明なメディカマ、

ドンソ(狩人)の衣装、そしてドンソンゴニが所狭しと並んでいる。

中央の自分の場所に座ったヤヤは色々とグリグリ(まじない)の道具を

見せてくれる。でふと彼の顔を見ると口から火が出ている。と言うか

火を食べている。その後も電気もない真っ暗位部屋の中、ドンソンゴニの

呪術的なループをBGMに、メディカマの入った小包に手を触れずに火を

付けたり、様々なマジックを見せてくれた。

命を殺めるドンソは、その分生きる事や、死に対しての秘密を多く知っている。

だからこそ人々は彼らを恐れ敬い、時に人生の相談や、まじないを施して

もらうために彼らの元を訪れる。

そして何の因果か?かくゆう僕らも知らぬ間に

そんなドンソの村に行き着いてしまう。

コメント

このブログの人気の投稿

ジャンベの叩き方〜音だし 手のひら編〜

ジャンベには基本の3つの音がある。 「ドン」「トン」「カン」 一つの打面だが低音、中音、高音と音質が変化する。 それに、ダイナミクス(音量の上げ下げ)や、微妙な倍音をわざと出したり、 ちょっとしたことで音は変わるから、 実際は3つの音だけでは無い。  しかしながら、1番大切な三つの音を先ずは出せる様にしよう。   ここから僕の感じた3つの音の出し方を書きます。 あくまでも個人的な見解なので、「そんな感じもあるんだ」くらいに読んで下さい。   立って叩く場合でも、座って叩く場合でも、打面がおへそからおへその少し下に 来る様にジャンベをセットする。 座って叩く場合は、ジャンベ下部の穴を塞がない様に、ジャンベの打面を 少し奥に傾けて、それを両膝の内側で支える様に座る。   肩の力を抜いて、ジャンベのふちに両手を置く。 この時、 ジャンベのふちのアールに合わせて 、自分の手を少し曲げ、フィットさせる。 頬杖付いたときの、手の形の様に、対象を包み込む感じです。 これが、基本の姿勢である。あくまでも 自分にとって自然な姿勢 でこれをキープします。 ドン/低音 /ベースの出し方 3つの音の中でも比較的出し易く、認識し易い音で、一言で言うと、 リムの内側、打面の中央辺りに腕の重さを乗せて、手のひら全体で叩く。 初めは、叩くというイメージよりも「腕を落とす」とイメージする。 例えば、手首に糸を巻いて、脱力した腕を吊り上げられた状態で、 誰かにその糸を、急に切られた様な感じ。 手のひらが皮にぶつかった瞬間に来る反発を素直に受けたら、 トランポリンの要領で、手のひらが上に跳ね上がる。 体重が乗れば乗るほど、落下スピードが速ければ速いほど、反発も大きくなる。 手のひらが当たった時、手のひらの中央は皮にはぶつかっていない。 でも、重心はそこ(手のひら中央)に持ってくる。 音は、太鼓下部の穴から抜けて来る感じ。 それがドンの音。 トン/中音/トニックの出し方。

アフリカ人的リズムの感じ方

  アフリカ人ジャンベ叩きと一緒に叩いたり、観たり体感したことのある人には、 分かるかと思うのだが、アフリカ人のリズムには、何か異質のエネルギーを感じる。   根源的で、野性的で、生命力そのものの美しさ、 それでいてユーモアまで感じるエネルギーを含んだリズムとでも言い表すべきか? 僕自身も色々な理由からジャンベを続けてこれたが、 「アフリカ人の様なフィーリングで叩きたい」 という思いが常にあった。 「一体何が、我ら日本人と違うのか?」と思いたって、アフリカ人の演奏を観察し、 時に同じ生活をする事で見えてきた違いは、 音量、スピード、熱量、前ノリ感、独特の間、ポリリズム感など、 挙げたら切りが無い。 が、その違いを一つ一つ理解して、日本人らしく、論理的かつ柔軟な感覚で アフリカンフィーリングを習得して行ったら良いと思い、 このblogで記録しながら共有してます。 まぁフィーリング(感覚)の話なので、習得には個々人の訓練と慣れが必要になってきます。   そんな今回は、 1番 簡単に アフリカ人フィーリングに近づける方法! 題して 「アフリカ人的リスムの感じ方」 。 それを一言で言うと、 「アフリカ人達は、リズムを最小限で捉えようとする」 と言うことになる。 「リスムを最小限?捉える?」となると思うので、ここで例を、 (B=ベース。T=トニック。S=スラップ。) KUKU (4/4) ジャンベ アコンパ ①は通常どおり、リズム譜にリズムを記したもの。 ②は日本人的リズムの捉え方。 B(ベース)をリズムの頭と捉えて「ドントトッ カッ」とリズムを出している。 この場合、8拍あるうちの、7拍分がリズムへの集中力となり、1拍が休憩となる。 ③はアフリカ人的リズムの捉え方。 S(スラップ)を頭と捉えて、「カッ ドントトッ」とリズムを出している。 この場合、リズムの集中力が6拍分、2拍が休憩となる。 同じリズムではあるが、捉え方によって、休憩できる拍が変わってくる。

平和と調和

「平和と調和、それは似て非なるもの」 いきなりですが、今日は平和と調和について語りたいなと。。 漠然とではあるが「平和」と言う言葉には安心感がある。 シンボルマークはご存知、鳩の足から形取られたピースマーク。 「love&peace」を掲げていた60年代カウンター文化からの名残は、 その後の時代の音楽や映画にも多くの影響を及ぼし、 僕らにとって「平和」や「PEACE」と言う言葉は、身近な表現になった。 しかし、2019年になっても、依然としてその実現は難しい。。。 逆に「調和」は僕にとってあまり馴染みのない表現だった。 シンボルマークは陰陽を現したタオとも呼ばれるこのマーク。 少林寺拳法や、映画キョンシーの中にも描かれていたから、 なんとなくアジア的なイメージのあるマークだけど、 その意味の「調和」と言う言葉を感じて、使うようになったのは、 やはりジャンベ音楽から。 特に誰かと奏でるアンサンブルは「調和」と言う表現がしっくりくる。 そもそも「平和」や「調和」と言う言葉の意味とは?と思い、 ネットで調べると 「 平和 」は、 「 戦争や内戦で社会が乱れていない状態 」の事で、 「 穏やかに、和らぐ、静かで、のどかである 」様とも表現される。 「 調和 」とは? 「 全体が具合よくつりあい、整っている事 」 「 矛盾や衝突がなく、まとまっている事 」とある。 ここで、気付くことが一つ。 「 平和 」は「戦争」が前提としてある言葉ということ。 なるほど、この言葉が叫ばれた時代というのは、 確かに今以上に未知なる戦争の脅威に晒されていた。 混沌とした戦争の時代。その先の光が「平和」だったんだと思う。 しかし「光」があるから、「闇」があるように、実は 「平和」があるから、「戦争」があるとも言えてしまうのだ。 対極して存在することで語られる言葉は二元論と呼ばれ、 会話は考え方にとって「便利」ではあるが、 その視野は二つの点が繋がった「平面的」なモノなので、 それを「立体的」に絡み合う現実世界に当てはめようとしても どこかしっくりこない場所(しわ寄せ)が現れてしまう。 「平和」は人間が作った概