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ピースサーキット @ へっころ谷

ここの所、妙に縁づいてるへっころ谷で昨夜、イベントがありました。

66年目の終戦記念日を目前とした今、

3•11から5ヶ月が経過した今までの流れから、

核を戦争をもう一度考えてみよう!と画家、ミュージシャン、政治家、

料理人、大学生、そして様々なる層の人達が集まりました。

このイベントは、茅ヶ崎の歌い手「あじさい」から頂いたお話。

彼とは去年の天空祭りでセッションしてから、約1年ぶり。

それまで、お互いのライブに「行く、来る」と言っていながら、

なかなかタイミングが合わずに会えていなかった。

へっころに着くと、前回88の日でも唄っていたピカレが唄っている。

後ろの方に立っていた、あじさいと再会に浸っていると、

ステージが盛り上がってきた。思わずステージのピカレにアイコンタクト。

「叩かせて!」「もちろんcome on!」言葉のない会話。

感動の再会に浸る暇無く、へっころに着いて10分。

ピカレとセッション。なんだか最近この流れが多い。


あじさいは優しい唄を唄う。平和への唄、人生の美しさ、、

でもそうゆう普遍的な唄というのは、なかなか人には伝わりにくい。

ライブ前にそんな風にお互いで話していたので、

ライブ中は演奏という意識と同様に、ジャンベの音に彼を支える

気持ちというのをのせてみた。こんな経験は今まで無かった。

そんな気持ちがその場にも広がったように、ライブはすばらしいものに。

あまりにも高揚して、あじさいライブの後、「一曲唄わせて下さい」と

最近自分で作った自分なりのメッセージソングを唄わせてもらいました。

そんな事言ってる自分に、唄っている自分にもびっくりしながら、

ライブ後「唄伝わったよ!」と何人かの人に言われ、またまたびっくり。

外でタバコを吸っていると、机に見覚えのある星のマーク。

藤沢近辺で良く見る、星のキャラクターを使った政治家の冊子が置いてあった。

そこで一緒にタバコを吸っていたミドルスのノブさんに、

「この星野って人、良く見かけるんですよね!いったい何者なんすかね?」

なんて大声で質問してたら、「ほら、あの人が」と後ろを指差す。

さすが政治家地獄耳(笑)「あ、星野です」と名刺をいただく。

なんと本人登場!!「星野なんて呼付けしてスイマセン!」と平謝り。


さて、今回のピースサーキットは勿論、アートからのメッセージという

側面もありつつ、星野さんがやっているustreamのホシノテレビという

番組の公開討論会でもありました。



へっころの座敷で、カメラを前に星野さんとマイクを囲んでの討論会。

周りに座るのは、へっころ店主けんごさんを初めとした濃ーいメンツ。

内容は原子力、核兵器について。白熱した討論会は夜中まで続いた。

その内容を全て書くのは、長くなってしまうので割愛しますが、

その中で印象的な出来事、というか討論を一つ。

初めに星野さんは「原発は中期的に停止すべきである。」

と前置きした後に、

「しかし私は核兵器と原子力は分けて考えるべきだと思う」

「なぜなら核兵器は大量に人を殺すものであり、原子力は電力を供給

するという平和利用だから」と話した。


それに対して、ミドルスのノブさんは

「日本で使う為のウランを掘り続けているロシアで今起こっている

健康的な被害を考えた時」

「この先何年も、僕らの孫の孫まで影響があるようなものが

はたして平和利用と呼べるのか?」と質問。

星野さんは正直に「勉強不足でそこは分かりません」と言った。

これは視点の違いである。

現状況をどうするか?時代の流れ(今の国民の関心事?)を意識して

政策、活動を考えている政治家的な(言い方は悪いが)狭い視点と、

現状況を含め、こんな状況を生み出したプロセスや、

この先の何代にも渡る影響をも考慮にいれた、より広い視点。

政治家のみなさんには是非持っていただきたい広く深い視点。


星野さんはかなりリベラルな政治家だと思う。

見た目も政治家というより、気さくなお父さんという印象があるし、

何しろ単身でへっころに乗り込んで来るような人である。

途中、政治家というだけでみんなからの噛み付きにも耐えていたし。

そして最後に彼の言った言葉には奇跡を感じました。

「(ノブさんの話に)本当に勉強になりました。原子力その行程、影響を

見越した考え方。少なくとも原子力の目的は平和利用だった。」

と最初に述べた自分の考えを改めました。(会場は拍手の嵐)

政治家と国民がこの様にザックバランに話が出来たら、日本は変わる!

そう思えた夜でした。

love

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