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ライブ後記

先週の土日はあくせくとライブ周りしていました。

14日、横浜大さん橋ホールで行われたイベントはアフリカ人主催なだけに

様々なユルさが目立ってた。11時半からリハーサルというのに、

ジェリドンメンバー(つまり日本人)以外誰も来ていない。

というかそもそもステージをまだ組み終えていなかった。。。

そんな不安の中、やはりイベント開始も1時間半押し。。。

7時間以上待ち、20分のステージを終える。

お客さんも100人くらい来てたけど、1000人規模の会場だけに

空席が目立っていた。。主催者にもう少し頑張ってほしかったな。。。



15日は楽しみにしていた「てとて」。

このイベントはライブ以外にもお仕事があって、子どもの為の楽器作りワーク

をやった。当初は王冠を使ったガラガラを作ろうと思ってたんだけど、

行ってみると材料が無く、急遽竹だけで作る鳴りものを考えました。

今回の会場はSHOKU-YABO農園。どうやら「食の野望」という意味らしいです。

オーナーはミュージシャンで、それでいて農園とレストランをやっている。

実は美味しんぼの作家の親戚だそうで、そりゃ食に関心があるはずだと一人感心。

本当に良い所でした。こんな近場にこんな桃源郷があるとは知らなんだ。

うたりべライブは新ベーシストのたっちゃん(fromはち)を加え、

何とか無事に終わりました。

実はこのたっちゃん、うっちーが鹿児島に渡る1週間前に、初対面。

元々はちでコンガを叩いているバリバリのパーカッショニスト。

しかし話してみると、高校生以来、最近ベースをやろうかと思っていると言う。

意気投合して、「てとて」に向けてベースを一生懸命やってくれた。

しかし6月にコンガ作り職人になるべくキューバ行きを考えているらしい。

出会いとは不思議なものですね。出会っては別れるの繰り返し。


そんなたっちゃんの活躍するはちのライブを見終えて、てとてを後に

鎌倉の「モワ」のオープニングパーティーに向かう。

平日はお料理教室、金土日はレストランに変わるフレキシブルなお店モワ。

二階の空きスペースは様々なワークショップを企画しているそうです。

そのうちンゴニのワークショップでもやろうかと考えています。。

モワにつくとてっちゃんがいる。

てっちゃんとはいつもジャンベのリング溶接を頼んでいる溶接屋さん。

「だいちゃん今回はありがとうね」と言われ一瞬

何の事か分かんなかったけど、そういえば前回改装中のモワに来た時に、

カウンターが出来ていなくて、溶接屋さんの見積もりを待っているという

モワのオーナーにてっちゃんを紹介したんだった。

紹介しっぱなしでそのままお互いに任せていたからすっかり忘れていたけど、

店内には立派なカウンターが出来ていた。なんかすごく幸せ。

ライブは4畳半の畳の上。いつもの練習のようでやりやすかった。

畠山たかし君というシンガーのライブ、堀内幹さんの乱入があり

和気アイアイとずーとセッションを繰り返していました。

モワは鎌倉六地蔵から歩いて3分にあります。これからが楽しみなお店です。


この2日間の様々な出会いと、発見と反省の中おかげで次の日は

抜け殻のようになりましたが、流れが流れを呼ぶように、

流れ着くとこまで流れに身を乗せていきたいと思います。

コメント

  1. たっちゃん82011年5月23日 23:28

    てとて疲れ様でした。
    竹の鳴り物ナイスアイデアだったね。
    お別れじゃないよ。これからこれから!
    また一緒にやろうね!
    一曲創ってきます。

    返信削除
  2. まってるよん!

    返信削除

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