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マンデンアンサンブルチャート 

ギニア、マリなどマンデン文化圏の、結婚式などでの演奏でよく見る楽器達。

音楽を作る上での役割と、ある人間関係を作る上での自分の役割と、

同じ人間ならば、リンクしないはずがない!と勝手に作りました。


それぞれ、個性があるので、あなたにぴったりのタイプを見つけて欲しい。


上のチャート表で、ドゥンドゥンを選んでしまった人には、良く読んでほしいです。

ジャンベとバラフォンを選んだ方は、興味があったら読んで下さい。(笑)


ドゥンドゥンとは、ドゥンドゥンバ、サンバン、ケンケニの総称のこと。

ジャンベのアンサンブルには欠かせない存在でありながら、CDや映像の中では、

どうしてもジャンベよりも後ろに聴こえていて、

初心者には認知されにくい立場でもある。

  そういう僕も、初めてマリを訪れた時、ドゥンドゥンの存在が裏方にしか見えなくて、

先生から「叩け!」と言われても「ジャンベを習いに来たから、これはやらない!」と、

何とも青臭く、もったい無い返事をしていた。



  しかしながら、遠くまで音を届けるのはこの筒太鼓達の役どころが大きく、

静かな所なら、実際に何キロ先までも音を運ぶ事が出来る。

  近距離で生演奏で聴くと、そこを包み込む空間そのモノを作っているのが、

このドゥンドゥンのおかげという事を体感すると思う。

 だから良いジャンベ叩きになりたいなら、

このドゥンドゥンを叩ける事は絶対条件となる。




  僕が偉そうにそう言える様になったのは、

2度目のアフリカ、初めてのギニアで出会ったイブロにお陰。

元々漁師でドゥンドゥンプレイヤーだったイブロは、

海をまたにかけ色んな世界を見ていたので、周りのギニア人と中身が少し違い、

実に客観的な視点で音楽の技術的な事を僕に教えてくれた。

イブラヒム ソリー ケイタ (イブロ)


   話はそれるが、ギニアの近代化の流れの中で、ギニア人達が伝統的な名を嫌い、

サッカー選手やスター達の名を名乗る様になった流れを懸念して、ギニアの古い名前、

村の相談役(おじーちゃん)の役名アラカリを僕に名付けてくれたのも彼である。



  僕がイブロから獲た1番の学びは、

ジャンベ音楽には伝統的視点と音楽・技術的な視点がある。と言うこと。

それは、非アフリカ人がジャンベを叩く時に2つの視点が大切になるということ。


  リズムの伝統的な意味合い、背景を理解する事。

 リズムを純粋に音楽として捉える事。


前者を理解を進める為に、アフリカ人と共に生活をして、生活の中でそのリズムなり

儀式なりを体感したとて、部外者には分からないことが沢山ある。

  しかしながら、後者の様に純粋に音楽として捉えたのなら、

それは自分なりに理解が出来きて、自分の中で発展させることも可能だ。

そんな視点をイブロは僕に教えてくれた。



  だいぶ横道にそれましたが、イブロは勿論ドゥンドゥンの技術面、精神面でも、

僕に色々教えてくれ、結果として僕もドゥンドゥンが大好きになりました。


ドゥンドゥンは、リズムのベース(グルーブ)を作っている。 



例えて言うなら、ドラムセットをバスドラム、スネア、ハイハットと役割を分けて、

3人で叩いている様な感じ。

 ケンケニ、サンバン、ドゥンドゥンという三つの打楽器のアンサンブルは、

元々ギニアの北東部を中心に栄えたマンデン文化が発祥(だと思う)。



だからマンデンリズムのドゥンドゥンアンサンブルには、類似性がある。

その一つが役割で、

ケンケニはペースメーカー(鼓動)

サンバンはリズムメーカー(骨格)

ドゥンドゥンはリズムを飾る(肉)

と、それぞれが、それぞれの役割を果たしているように思う。

 人体の骨格を知れば、肉の付き方も分かってくるように、



どんなリズムでもサンバンが分かると、ドゥンドゥンの場所が分かりやすい。

 鼓動が上がれば、身体は興奮状態になるように、



ケンケニは全体が共有するスピード感を操っている。


そしてもう一つが、ショフとかエショフモンとか呼ばれる、盛り上がりパートの存在。

リズムのクライマックスになると、ジャンベソロ、サンバン、ドゥンドゥンが変化して、

より音の密度を上げていく。ダンサーはこのクライマックスで踊りたがるので、



村などでは、ひっきりなしにショフが続いていく。

ショフの間だけ、テンポが少しだけ上がり、終るとまた少し下がったテンポに戻る。


しかし、アフリカトラディッショナルのリズムは何百とある。

それこそ、マンデンのリズムだけでも数えきれないほどだが、

スス、セネフォ、ボボ、テミネ、フラ、ボケ、キシ、トーマ、カソンケ、コニャギ、、

現在、たくさんの部族のリズムがこのドゥンドゥンで叩かれているが、

それは、各地に元々あった太鼓を、エクスチェンジしてドゥンドゥンで表現したもの

が多いので、上の法則には当てはまらない事がある。

 逆にどうしてそのようになったのかを、探っていくと、

その民族の元の楽器に行き着く事が多い。(スス族のボテ、やセネフォ族のバラなど)


 何にせよ、敷居が高そうで、目立たなくって、

全体像を感じながら、自分の役割に集中するという、

2つの感覚を同時に使うので、難しそう。

というネガティブに見られがちのドゥンドゥンだが、


それぞれに個性があり、どれがかけても物足りない。。

音出しはジャンベに比べたら、実に簡単だし。。

グルーブそのものを創る感覚に浸れるし、

実は、良い事だらけ。。。。

そんなドゥンドゥンを選んだあなたは、それを誇りに思いつつ。。

続いて実践編、「ドゥンドゥンのコツ」に続きます。








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