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平和と調和

「平和と調和、それは似て非なるもの」
いきなりですが、今日は平和と調和について語りたいなと。。

漠然とではあるが「平和」と言う言葉には安心感がある。
シンボルマークはご存知、鳩の足から形取られたピースマーク。
「love&peace」を掲げていた60年代カウンター文化からの名残は、
その後の時代の音楽や映画にも多くの影響を及ぼし、
僕らにとって「平和」や「PEACE」と言う言葉は、身近な表現になった。
しかし、2019年になっても、依然としてその実現は難しい。。。

逆に「調和」は僕にとってあまり馴染みのない表現だった。
シンボルマークは陰陽を現したタオとも呼ばれるこのマーク。
少林寺拳法や、映画キョンシーの中にも描かれていたから、
なんとなくアジア的なイメージのあるマークだけど、
その意味の「調和」と言う言葉を感じて、使うようになったのは、
やはりジャンベ音楽から。
特に誰かと奏でるアンサンブルは「調和」と言う表現がしっくりくる。

そもそも「平和」や「調和」と言う言葉の意味とは?と思い、
ネットで調べると
平和」は、
戦争や内戦で社会が乱れていない状態」の事で、
穏やかに、和らぐ、静かで、のどかである」様とも表現される。
調和」とは?
全体が具合よくつりあい、整っている事
矛盾や衝突がなく、まとまっている事」とある。

ここで、気付くことが一つ。
平和」は「戦争」が前提としてある言葉ということ。
なるほど、この言葉が叫ばれた時代というのは、
確かに今以上に未知なる戦争の脅威に晒されていた。
混沌とした戦争の時代。その先の光が「平和」だったんだと思う。
しかし「光」があるから、「闇」があるように、実は
「平和」があるから、「戦争」があるとも言えてしまうのだ。
対極して存在することで語られる言葉は二元論と呼ばれ、
会話は考え方にとって「便利」ではあるが、
その視野は二つの点が繋がった「平面的」なモノなので、
それを「立体的」に絡み合う現実世界に当てはめようとしても
どこかしっくりこない場所(しわ寄せ)が現れてしまう。
「平和」は人間が作った概念だ。

逆に「調和」は、出来事のある現象の状態を表した言葉となる。
そのお手本は自然が季節と共に変わりゆく流れだったり、
多様な生き物が共存している森だったり、
自然が創った形そのものだったり、
どこにも無理はなく、それでいて「完璧!」と思わせてくれるのが調和。
「調和」は自然の中に多く見ることができる。
人間も自然の一部と考えるなら、僕らも調和の渦の中にいるべきだが、
実際、「調和」は人間を抜きにした方が、語り易い概念だ。

平和」と「調和」。書きながら少しづつ概念の違いが見えてきたが、
どちらも「」という目的(意味)を持っているという事は共通している。
」とは「やわらぐ」「なごむ」と読む。
つまりは「争いや、戦い、その他のストレスなく、落ち着いた状態」の事。
違いは、前に来る文字、その方法(状態)にある。
」=「凸凹のない、一般的、普遍的、変わった性質のない様子
調」=「調べる、旋律、音楽や詩歌などを通じて感じる情緒や調子

 これは単純に漢字の意味合いから、引き出した個人的な印象だが、
色んな個性が本来持つ突起を取り除いて、出来るだけ同じ形に統一して、
問題が起こらないようにして、なごめる時間を作るのが平和

色んな個性が本来持つ突起がぶつかり合う事も含めて、違いを認め合い、
それぞれが自分の役割を奏でる中で、作用、反作用、と自然と変化してきて
出来たなごめる時間が調和
先ほど、アフリカンリズムアンサンブルを「調和」と表現したのだが、
以前の記事「ポリリズム」でも書いたように、アフリカのリズムは、
拍子の違うリズムが、同時に進行している場合がよくある。
それを大きく全体として聞くと、実は一つのメロディーとなっている。
演者側として、他のリズムを意識し過ぎると引っ張られたり、
自分勝手に成りすぎて他を置いて行ったり、誰かと一緒に作り上げる
アンサンブルの成立というものは、シンプルだが難しい。
だからと言って、「平和的解決」と言って全員頭打ちで叩いていたら、
確かにズレはしないが、リズムとして非常につまらなくなる。
それに「ドーン、ドーン、ドーン、ドーン・・」って
逆に戦闘を鼓舞するリズムの様になりかねない。
そうではなく、「自分の役割であるリズムを三様に放ち続ける三者が、
それぞれの役割を刻みながら、互いに刺激しあい、力を送り合い、
変化してゆく様」がアフリカ音楽の持つ面白さ、奥深さ、
調和的解決」である。

何が言いたいかというと、
「平和」という概念はもう今の時代と合っていないじゃ?って事。
例えシーソーが「平和」が傾いたとしても、反対側には常に「戦争」がいる。
「平和」は「戦争」の脅威によって作られたとも言うことが出来る。
ゲームや映画技術は3D、4Dととっくに2次元を抜け出しているのに、
世界はどれほど長い間、平面的なシーソーゲームを繰り返してるんだろうと?
このシーソーから降りない限り、本当の「(なごみ)」は訪れない。
それだったら「世界平和」よりも「世界調和」の方が希望が持てる。
それぞれが、周りがいるから自分があるという謙虚な気持ちで、
それぞれが干渉しすぎず、好きな事に真剣に没頭して、
感謝を込めてそれを周りに人や社会に還元して、周る様な世界。
時代で思い出しましたが、今年4月で年号が変わりますね。
奇くも、「昭和」「平成」の漢字のつなぎ合わせが「和平」となってます!
「日本人の和みをあきらかに照らす為に戦争、復興してきた?」昭和。
「みんなが平均的に(疑問を持たなく)成ることを目指した?」平成。
次の時代僕らは一体何を体現させられるんだろう?
年号が変わる前のつぶやきでした。。。








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