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子ども達と唄作り②

 さて、横浜南養護学校の生徒達と一緒に歌作りをする事になったのだが、
3クラス3様のドラマがあり(中学部を入れると4クラス)、
それぞれの想いを引き出し、それをまとめて一つの曲にするというのは、
なかなか時間と根気のいる作業に思えた。
それに今回の唄作りのゴールは単に、
子供達の書いた詩に「曲を付ける」という単純なものではなかった。
 3年前から文部科学省が推奨しているネットシステムを使った遠隔教育。
その研究発表のテーマの一つの結果として「この唄を発表する」という。
 発表は2019年、2月15日。となると締め切りは2018年中となる。
 しかし実質動き出したのは、8月。
夏休み中に、教員向けジャンベワークをやらせてもらった事を機に始動。
各クラスに挨拶がてらの授業をする。
「アラカリ」がどうゆう人間で、どうやってここまでたどり着いたかを話した。
幼少時代に音楽のテストで0点取ったことや、アフリカのこと、遠い国のこと、
刺激的かな?と思いつつも、「今を生きる大切さ」についても話させてもらった。
それぞれがどう感じたかは分からないけど、距離は縮まった気がする。
 重心クラスには演奏授業をしにいった。
色んな音を聞かせたくて、普段使わない自宅の色んな楽器を持って行って、
聞いてもらった。初めて行った時には分からなかったけど、観察してみると、

ちゃんと音に反応して、表情が変わるのがわかった。ンゴニを直接身体に当てて、
振動そのものを伝えると、あからさまに「伝わった」って表情になる。
色んなミュージシャンがここを訪れられたら、両者にとっていいなと思った。
(社会がそこに価値を見出してくれれば、ミュージシャンの一つの仕事にもなる)
 そのうち、うちのパソコンと学校をネットでつないで遠隔授業を行うため、
先生が自宅に来て、設備を確認し「来週はカメラ越しに授業して見ましょう」と。
テレビ電話もろくにしたこのないのに、画面越しは5つの教室と繋がっている。
引きつり顔の自分の顔も見ながら、部屋のパソコンで歌作りの授業をした。
この頃先生から「音楽の授業なので、授業のオープニングソングが欲しいです」
とリクエストがあって、「始まりミジカ」という短い歌を作った。

「点と線から始まる(丸)よ、音楽アラカリ三角(さん書く)、
そこでみんなで四角(詩書く)、僕らの形は五画(互角)
ミュージーカ、ミュージーカ、
身近な言葉で音楽、ミュージーカ♪」
この歌が、低学年達にヒットして、授業のたびに唄うことにした。
仮で作った「始まりミジカ」の音源を先生に渡すと、
その後、毎朝授業の前にみんなで聞いてくれてるという。
 ある日2組の男の子が、歌いながら、考えた振り付けを見せてくれた。
踊っているその身体は後ろの機械と繋がっていたんだけど、思わずその存在を
忘れて前に来たから、機械が倒れかけ、あわや先生がキャッチ!となった。
この曲のおけげで
「アラカリの授業は楽しい時間」って生徒に浸透して行った気がする。
実際に、歌を作る授業では、先生からの無茶振りもあって(笑)
「生徒の作った言葉に即興で歌をつけてください」と言われたり。。。
しかもこの日の生徒は40人近く。。個人の楽しみとしてやったことはあるが、
歌の即興なんて人前でやったことない「やけくそ」とはこの事。。
ライブでもかかないくらいの汗をかき、なんとか乗り越えた。。

その後、月2〜3回ペースで学校に出向き、歌作りの授業をして来ました。
そして気付けば12月終業式。
言葉集めの方は、授業の中で、出て来た言葉もあったけど、
僕としては「ここから実際にテーマを絞って行こう」という段階だった。
しかし、冬休みが明けたら、締め切り。集まった言葉でそのまま行くしかない。
「テーマがないというのはどうしたものか?」と終業式の後、先生と話す中、
全生徒に共通することは「この場所(ここ)にいる」って半ば強引だが、
「ここ」というキーワードからテーマを作って行くことにした。

正月は、そのことで頭がいっぱいで、おせちの味も覚えてない(笑)
でも校長からの直々のメールでヒントをもらい、
自分が学校に行って直接感じて来たことも歌に乗せて、
3日の自分の誕生日に腑に落ちて、一つの曲の原石が生まれました。
先日、曲を生徒に披露するために学校に行って来たのですが、
その時やっと中学部の生徒と会えました。
実は中学部の生徒は、勉強が忙しくなかなかタイミングが合わず、
授業は勿論、歌詞集めすらできていない状況で、
歌作りに関心があるのか、ないのか、正直分からない状況だったんです。
その日の生徒は5人。
やはり中学生、小学部に比べ体が1回りも2回りも大きい。
その後ろには中学部の先生が総勢20人くらい、授業の様子を見に来ていた。
自己紹介から始まり、できた歌の歌詞の説明をしてから、実際に歌うことにした。
 こちらも作りたての歌なので、余裕もなく歌詞を見ながら、
歌っていたのですが、最後の3番を歌ってる時に、チラッと前を見ると、
『?』
身体の一番大きくて、一番やんちゃそうな子が涙を流してるのが見えた。
一番前に座ってたから、ほとんどの人は気づいていなかったけど。。。
同じ境遇の小学生達の言葉の何かが、彼に「刺さった」んだと思う。
ヤギの毛剃りと同じ。)
もうほんとにそれだけで、この曲を作れてよかったなと思った。
その場で、ギターを弾ける先生がいたので、コードを伝えながら一緒に
弾いてもらい、他の先生も一緒にみんなで歌詞を見ながら歌の練習した。
 その後先生からメールで
「ギターを弾きたい学生が現れたり、卒業式でも是非披露したいという話になり、
音楽で一体感を感じた中学部全体が今燃えています」
という嬉しい報告がきた。

書いて見ると改めて、いろんな経験をさせてもらって来たと思います。
教えてたつもりが、教わってたように、与えたつもりが、受け取っていたように、
蒔いたタネから、たくさん実がなって、収穫できたような気分です。
ここまで、長い文章、読んでくれてありがとう!
物語はまだ続きそうです。
最後に、
偶然にもこの学校に興味を持っていたNHKのカメラマンが、
今回のこのプロジェクトの過程を撮影する事になり、
授業風景や自宅にまで取材に来てくれました。
彼の個人的な思いで撮っていた映像でしたが、
トントンと話は進み、この活動の一部が、
全国放送で放映される事になりました。(詳しくは後日お知らせします)

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