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子ども達と唄作り③

このブログで少しづつですが、子ども達との活動を紹介して来ましたが、
歌作りに対して、予想以上の方の声と関心が集まったこと嬉しく思います。

まずは訂正と報告なのですが、以前「全国放送」と書いてしまいましたが、
正しくは「首都圏ネットワーク」なので、関東近郊の放送だそうです。
 そして放送日が決定しました。
2月19(火)18:10〜 NHK総合
(場合によっては延期の可能性もある)
ニュースの途中に出る、5分くらいの短編ドキュメントだそうです。
 自分の活動のイレギュラー的な部分ではありますが、放送が楽しみです。
さて、昨日、無事に発表会を終えることが出来ました。
子ども達と、歌の練習から、構成の確認、カメラリハーサルをして、本番は
藤沢の善行に全国から集まった、教育関係の偉い人達100人くらいに向け、
唄を届けることができた。普段なら疲れてしまう子達も頑張って、
「最後まで、みんなと一緒の空間で歌おう」って気持ちが伝わって来ました。
 今回は、歌の発表と同時に、病院内でアンケートをとっていた「曲名」も
決定しました(この期間中アンケートを3回もしてくてた友人もいました)。
生徒も先生も、僕自身もその結果を知らない中、曲名が発表され
KOKO KARA」と言う、ローマ字表記の「ここから」と言う曲になりました。

今回の発表会はある意味、スタートラインで、ある意味ゴールライン。
捉え方によっては、どちらにもなりうる。と言うのも、
学校社会は、4月始まりの年度式に動いており、4月から色々と変わるのである。
いわゆる大人の事情ってやつで、担当の先生が移動になると、プロジェクト
そのものが消滅するなんてこともあったり、僕自身、学校の40周年と言う節目で
「唄を作ろう」と呼んでもらい、こうゆう活動ができてるわけで。
しかも、3年前から文科省と研究して来た「遠隔授業」の研究発表。
だから、今回の発表会は学校にとって意味のあるゴール的なイベントなのです。
しかしながら、どうしてもミュージシャン目線で見てしまう自分がいる。
①曲を作って②バンドメンバーと曲を共有し③練習し
④アレンジし⑤ライブし⑥試行錯誤して
⑦「誰かの心に届ける事ができた」ってメンバーみんなで思えた時にやっと、
本当の意味で「曲が完成した」と言う事ができるんだと思う。
本当に曲名の通り「ここから」曲が子ども達自身のものになり、
いつか彼らの友達や、彼ら自身を癒していってくれたらと願っている。
そうゆう意味で、まだまだ始まったばかりだと思うのです。

 そんな発表会では、何人かの親御さんとも言葉を交わす機会がありました。
僕よりちょい上、同世代くらいの親御さん達。
「子どもがよく唄う、曲が良くって、音楽の授業に興味を持ってました」
「息子は今、アラカリさんとの授業が一番楽しみだって言ってます」
休憩時間にさっと話した会話だったが、嬉しさとともに、
「子ども達にとって、楽しい時間を作った」事に責任も感じた。
大人の事情で、「はい、さよなら」とはいけない。。。
僕をここに呼んでくれた先生も、「この曲をいかに残していくかと?」と
日々奔走してくれているみたいだし、
何よりも、僕自身「この曲を一緒に作って来た子達に何かを残してやりたい」
と言う思いが湧いております。
映像が世に出ることで、何かが動き出すかもしれないし、
どのように残して、どのように関わって行けるのかが、今後の課題ですが、
とりあえず、学期の終わる3月までにやれることをやってみよう!
ってのが今の気持ちです。
今後もまだまだ、報告させていただきます。


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