スキップしてメイン コンテンツに移動

リズムから解く人間関係 〜ポリリズム〜

人間は母親のお腹にいる頃から、鼓動というリズムを鳴らし始め、

産声をあげ、呼吸というリズムを始め、

意識しようがしまいが、朝昼夜と時間のリズム、春夏秋冬といった季節のリズム、

所属団体(家族、学校、会社など)の習慣のリズムなど、

日々様々なリズムの中で暮らしている。




「僕らの生は、数あるリズムが、同時に鳴っている上にある」といっても過言ではない。


リズムは、「一定間隔」で「継続」されることにより、心地良いリズムとなる。

逆に「不定間隔」に「断続」的なリズムは、人々を不快にさせる傾向がある。

 そうゆう意味で、鼓動は人間にとって一番身近なバロメーター的リズムとなっている。



平常時、「トクトク」と脈打つ鼓動が例えば、車に突然轢かれそうになった時に

「どきっ」と反応し、「ドキドキドキドキ」と鼓動が速くなる。

これは、自分に迫った危機に対する回避反応ではあるが、

その後必ず怒りが沸き起こる。(轢かれてなかった場合ですね)

 その怒りは、「あぶねーだろ!」って気持ちと、

自分を「どきっ」とさせたこと=心地良いリズムを、中断させられた怒りである。



 時差ボケで苦しめられたり、昼夜逆転の生活がうつ病を招きやすかったり、

休日出勤に嫌気がさしたり、予想してなかった渋滞に巻き込まれたり、

人間は自分のリズムが崩された時に、ストレスに感じる。のです。


自分のリズムを崩す際たるものが、、、、他人です。

まぁ、動物の中で、唯一エゴを持った僕ら人間の宿命みたいなものですが、

自分のリズムとグルーブして、リズムを昇華させてくれるのも、他人です。



人間は本来それぞれ自分の心地良いリズム、得意なリズムで生きていたいものなのです。



生まれてすぐ、赤ちゃんの頃は誰もがそうだった様に。

しかし成長するにつれ、親、兄弟、友達、先輩、上司など、自分以外の人からリズムを

決められたり、自分の苦手なリズムと共存しなければいけなくなってくる。

 出会いや別れその中で、不快な思いや、決別、マイナス面もあるが、

自分とは違うが、それを魅力に感じ、自分以外のリズムと融合することで、

逆に新しい感覚として自分のリズムが変化して行くこともある。=成長


 しかしながら、このリズム感も成長するにつれ固まって行き、

リズム感はその人自身の「雰囲気」と呼ばれ、その人の生きるための「正義」となる。

大人になればなるほど、そして孤独になればなるほど、それを崩すのが難しくなる。



 その様々なリズム感の人間が集まったものが、社会である。

せっかち、のんびり、怒りんぼ、泣き虫、高圧的、被害者意識を持った人、監督役、

悲観的、楽観的、、、それらの要素は、その人のリズムが作り出した産物で、

僕らは、社会の中でそれぞれのリズムと関わりながらも、

自分のリズムを崩さずに、生きてゆかなければならない。

特に学校や会社など、自分の所属している団体での関係性は、

簡単に逃げる事が出来ない分、自分にとってとても重要になってくる。

「あいつがいなければ」とか「尊敬できない」思う人でも、

仕事上の上司だからどうしてもいう事を聞かなければいけない。



大人になれば、その様な状況は誰でも経験した事があるだろう。

問題はその時の対処法である。



リズムアンサンブルにポリリズムという状態がある。

これは、「複数の異なる拍子が同時進行で用いられてる音楽の状態」の事である。

簡単に説明すると「あ」から「ん」までの距離を何歩で移動するか(下図)

         あ                        ん
      A  1                   2                    3                   4
         B  1          2           3           4           5           6
         C  1                              2                              3


Aは4歩、Bは6歩、Cは3歩。


AもBもCも歩数はそれぞれ違うが、

一歩めの1、最後の一歩の位置、移動した距離は同じになる

これがポリリズムである。



歩数が違うということは、そのリズムが違う訳ではあるが、一歩めを合わせると、

不思議と何周めかでまた合ってくる。そしてそれがアンサンブルにウネリを与える。

つまり、一つ一つのリズムが違えど、グルーブを生み出す事ができる訳だ。

僕らは、「1、2、3、4」とカウントが鳴っていると、

どうしてもそこに「1、2、3、4」と合わせて行くことだけが

正解の様に感じて、反応してしまうが、

「12345678」と倍速に取ることも、

「、1、2、3、4」とオフビートに取ることも、

「1   2   3   4   5」と素数で捉えることも、

本来は自由なのだ。

例えば、素数である13拍子と17拍子も、同時に鳴らすと221拍子めで

またピタリと合ってくる。

180拍目辺りで、「もう合うことは無いだろう」諦めていたら、そのグルーブは

掴めないが、22100拍子くらいの大きな視点で捉えれば、13拍子と17拍子も

アンサンブルとして成立している訳だ。

 このポリリズム的感覚を人間関係にも持ち合わせたらどうだろう?

というのが今日の記事である。

 例えば誰かから、自分のリズムを崩すような事をされたり、言われたりした時、

その相手のリズムの土俵に真正面から乗って行くと、知らぬ間に相手のリズムに合わせて

いることとなり、相手の思うツボとなる。

 というのも、人間はやはり、自分のリズムに他人を合わせたいのである。

「怒り」ですら「怒り」で返して欲しい。

だからそれをあらわにして、アピールする。


自分のリズムに相手を引き込んだ時、人はエネルギーを得て、

不本意に相手リズムに自分を合わせた時に、人はエネルギーを失ったと感じる。


人間はそうやって、罠を張ったり、脅迫したり、常識という基準で誰かを裁いてみたり、

時に無反応になることで、日々小さなエネルギー獲得戦争を行なっている。

それは、自分の正義(心地よいリズム)の選択肢が一つしかないと

決めつけるところからくる。



 一呼吸置いて、入り口を変えただけでも、リズムの聞こえ方は、変わってくるし、

意識して、流れているリズムと別の拍子を取ることで、

相手とのアンサンブルには変化が起こる。

 逆に、自分の放つリズムに、思いもよらぬところから乗っかられることもあるが、

それが、自分のリズムに彩りを添えているんだと気づいた瞬間から違和感はなくなる。

スポーツチームやプロジェクト制作の様に、

同じ目標の為に、あえてみんなのリズムを合わせて大きな力を得る時もあるし、

自分が放つリズムで、集団をまとめなければいけない時もある。

自分とリズムが似ている人ほど、微妙なズレが気になってしまうのも、

こんな事が原因かもしれない。

 でもそうやって、色んなリズムが鳴る中で、僕らは己のリズムを放って生きてます。

お互いに影響しながら、変化させながらも、放ち続けているのです。

現段階では、不協リズム(マイナス)に感じることも、

大きく捉えるとグルーブ(良い経験)してたと思うことしばしば。

 とにかく人生ポリリズムなのです。

自分の身体の内側(精神状態)でも、外側(対人関係)でも

「複数の異なる拍子が同時進行で用いられてる状態」の中で生きているのです。

だから、「リズムマスターになるってことは、人生を上手く生きることなのです!

拍子が違っても、スピードが違っても、それを大きくポリリズムと捉えれれば、

全ては正解となる。



と、偉そうに太鼓叩きの勝手な解釈で、人生語ってみました。。。。


ちなみに、この文の「リズム」という言葉は、雰囲気、波長、正義にしても読めます。
















コメント

このブログの人気の投稿

ジャンベの叩き方〜音だし 手のひら編〜

ジャンベには基本の3つの音がある。 「ドン」「トン」「カン」 一つの打面だが低音、中音、高音と音質が変化する。 それに、ダイナミクス(音量の上げ下げ)や、微妙な倍音をわざと出したり、 ちょっとしたことで音は変わるから、 実際は3つの音だけでは無い。  しかしながら、1番大切な三つの音を先ずは出せる様にしよう。   ここから僕の感じた3つの音の出し方を書きます。 あくまでも個人的な見解なので、「そんな感じもあるんだ」くらいに読んで下さい。   立って叩く場合でも、座って叩く場合でも、打面がおへそからおへその少し下に 来る様にジャンベをセットする。 座って叩く場合は、ジャンベ下部の穴を塞がない様に、ジャンベの打面を 少し奥に傾けて、それを両膝の内側で支える様に座る。   肩の力を抜いて、ジャンベのふちに両手を置く。 この時、 ジャンベのふちのアールに合わせて 、自分の手を少し曲げ、フィットさせる。 頬杖付いたときの、手の形の様に、対象を包み込む感じです。 これが、基本の姿勢である。あくまでも 自分にとって自然な姿勢 でこれをキープします。 ドン/低音 /ベースの出し方 3つの音の中でも比較的出し易く、認識し易い音で、一言で言うと、 リムの内側、打面の中央辺りに腕の重さを乗せて、手のひら全体で叩く。 初めは、叩くというイメージよりも「腕を落とす」とイメージする。 例えば、手首に糸を巻いて、脱力した腕を吊り上げられた状態で、 誰かにその糸を、急に切られた様な感じ。 手のひらが皮にぶつかった瞬間に来る反発を素直に受けたら、 トランポリンの要領で、手のひらが上に跳ね上がる。 体重が乗れば乗るほど、落下スピードが速ければ速いほど、反発も大きくなる。 手のひらが当たった時、手のひらの中央は皮にはぶつかっていない。 でも、重心はそこ(手のひら中央)に持ってくる。 音は、太鼓下部の穴から抜けて来る感じ。 それがドンの音。 トン/中音/トニックの出し方。

アフリカ人的リズムの感じ方

  アフリカ人ジャンベ叩きと一緒に叩いたり、観たり体感したことのある人には、 分かるかと思うのだが、アフリカ人のリズムには、何か異質のエネルギーを感じる。   根源的で、野性的で、生命力そのものの美しさ、 それでいてユーモアまで感じるエネルギーを含んだリズムとでも言い表すべきか? 僕自身も色々な理由からジャンベを続けてこれたが、 「アフリカ人の様なフィーリングで叩きたい」 という思いが常にあった。 「一体何が、我ら日本人と違うのか?」と思いたって、アフリカ人の演奏を観察し、 時に同じ生活をする事で見えてきた違いは、 音量、スピード、熱量、前ノリ感、独特の間、ポリリズム感など、 挙げたら切りが無い。 が、その違いを一つ一つ理解して、日本人らしく、論理的かつ柔軟な感覚で アフリカンフィーリングを習得して行ったら良いと思い、 このblogで記録しながら共有してます。 まぁフィーリング(感覚)の話なので、習得には個々人の訓練と慣れが必要になってきます。   そんな今回は、 1番 簡単に アフリカ人フィーリングに近づける方法! 題して 「アフリカ人的リスムの感じ方」 。 それを一言で言うと、 「アフリカ人達は、リズムを最小限で捉えようとする」 と言うことになる。 「リスムを最小限?捉える?」となると思うので、ここで例を、 (B=ベース。T=トニック。S=スラップ。) KUKU (4/4) ジャンベ アコンパ ①は通常どおり、リズム譜にリズムを記したもの。 ②は日本人的リズムの捉え方。 B(ベース)をリズムの頭と捉えて「ドントトッ カッ」とリズムを出している。 この場合、8拍あるうちの、7拍分がリズムへの集中力となり、1拍が休憩となる。 ③はアフリカ人的リズムの捉え方。 S(スラップ)を頭と捉えて、「カッ ドントトッ」とリズムを出している。 この場合、リズムの集中力が6拍分、2拍が休憩となる。 同じリズムではあるが、捉え方によって、休憩できる拍が変わってくる。

平和と調和

「平和と調和、それは似て非なるもの」 いきなりですが、今日は平和と調和について語りたいなと。。 漠然とではあるが「平和」と言う言葉には安心感がある。 シンボルマークはご存知、鳩の足から形取られたピースマーク。 「love&peace」を掲げていた60年代カウンター文化からの名残は、 その後の時代の音楽や映画にも多くの影響を及ぼし、 僕らにとって「平和」や「PEACE」と言う言葉は、身近な表現になった。 しかし、2019年になっても、依然としてその実現は難しい。。。 逆に「調和」は僕にとってあまり馴染みのない表現だった。 シンボルマークは陰陽を現したタオとも呼ばれるこのマーク。 少林寺拳法や、映画キョンシーの中にも描かれていたから、 なんとなくアジア的なイメージのあるマークだけど、 その意味の「調和」と言う言葉を感じて、使うようになったのは、 やはりジャンベ音楽から。 特に誰かと奏でるアンサンブルは「調和」と言う表現がしっくりくる。 そもそも「平和」や「調和」と言う言葉の意味とは?と思い、 ネットで調べると 「 平和 」は、 「 戦争や内戦で社会が乱れていない状態 」の事で、 「 穏やかに、和らぐ、静かで、のどかである 」様とも表現される。 「 調和 」とは? 「 全体が具合よくつりあい、整っている事 」 「 矛盾や衝突がなく、まとまっている事 」とある。 ここで、気付くことが一つ。 「 平和 」は「戦争」が前提としてある言葉ということ。 なるほど、この言葉が叫ばれた時代というのは、 確かに今以上に未知なる戦争の脅威に晒されていた。 混沌とした戦争の時代。その先の光が「平和」だったんだと思う。 しかし「光」があるから、「闇」があるように、実は 「平和」があるから、「戦争」があるとも言えてしまうのだ。 対極して存在することで語られる言葉は二元論と呼ばれ、 会話は考え方にとって「便利」ではあるが、 その視野は二つの点が繋がった「平面的」なモノなので、 それを「立体的」に絡み合う現実世界に当てはめようとしても どこかしっくりこない場所(しわ寄せ)が現れてしまう。 「平和」は人間が作った概