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アーティストとして生きよう!

アーティストとして生きる。言うは易しだが、
誰にでも簡単には出来る生き方ではない。

結論から言うと、僕の思うアーティストとは、
自分の表現に責任を持って生きる人のことである。
その時点での自分を肯定して、湧き出るものを躊躇せずに出せる者。
人からなんて思われようと、自分にOKとGOの出せる人である。
そして時に、空気が読めないと思われる人でもある。

そもそも「アーティスト」と言う言葉には沢山の意味が含まれている。

語源はラテン語で「職人の技術」、そしてアート(芸術)ィスト(の人)で
「芸術家」「美術家」とも呼ばれ、「その道の達人」や現代では、
「歌手」や「バンド」そのものを指す言葉でもある。

何を持っての「アーティスト」なのかが今回のテーマなのですが、

 とりあえずは、自分の内側から「何か」を創り出して、
それを世に出している(自分を表現している)人たちの様である。

僕の様な、暮らし方をしていると、そのような人達と日々出会うわけです。
アーティスト達はライブのステージ上(自己表現の場)だけでなく、
会場の中にお客さんとして混じっているっていることもあります。
 その彼は、自己表現しているつもりなくても、会話や行動の中に、
自然とアーティストな雰囲気が出ていると言うわけです。
何故僕がそれを感じられるのか?と言うと、僕の目に写るアーティスト達は、
一様に「自分に疑いなく、自分に率直な雰囲気」を醸し出しているからです。
それが、服装に現れて、あからさまに分かる人もいれば、
スーツ姿でも隠しきれない個性を出している人もいるし、
服装が派手でも、中身は懐疑主義ということもある。

当たり前だが、アーティストとは見た目うんぬんではないということ。

人間、想像という作業は、多くの時間で行なっていることであるが、
それに行動を伴い、創造物や結果としてアウトプットさせることは中々ない。
その理由の一つとして、自分の中にいる完璧主義者の声である。
「こんなものでは、稚拙すぎる」とか「もっと、良くなるはずだ」とか、
「こんなの駄作だ」とか「今の自分には出来るはずない」とか、、、
ある意味、自分が上に行くためには必要なはずの言葉ではあるが、
誰かと比較することに慣れ、そうゆう言葉を自分に浴びせ続けて来た大人は、
すでに行動する前からこの声を聞き、
やがて行動を起こす事から戦線離脱してしまうのである。
行動を起こすことを辞めると、自分の本当の声というものカスれてくる。
時間はあるからインプットの時間(テレビ、読書、映画など)が増えて、
頭の中は、そうした外からの情報でいっぱいになる。
すると、ますます自分というものが、よく分からなくなる。
表現どころか、自分すら分からないから、アウトプットの必要性は無くなるが、
そういう人達はどこか息苦しく感じるはずだろう。

呼吸でいう所の、吸ったはいいが、息を吐き出せていない状態である。
息は、吸えなくても、吐けなくてもそれが続けば酸欠となる。
呼吸だけでなく、インプット、アウトプットのバランスは大切である。
 しかし実は大きく息を吸った後に、息を少し止めると心地いいように、
インプットとアウトプットの間に「創造の種」があるのかもしれない。

では、物を作り出すから、アーティストなのかと言えば、そうとも言えない。
そこには自分の中での、モノを作る「理由」が大きく関係している。
「作らされている」と感じたり「作りたくないもの」を生み出しているのならば、
それは外的要因(お金の為、義理の為、義務の為、常識)のためであって、
自分の内面的要因(自己表現欲)からは離れたところにある。

逆に言えば、お金にも、誰のためにもならない様なものでも、
自己表現欲に突き動かされて、生まれて来た作品には、
こちらに訴えかける様なメッセージ性と妙な説得力がある。

なぜなら、そういう作品とは自己を肯定し続けた「結果(結晶)」だからである。

いくつものアイディアを形にしようと何万枚デッサンしても、
一枚も描き切って完成できないのであれば、その絵描きの作品はゼロのまま。
つまりは、一度もその瞬間の自分を肯定できなかった。ということを物語る。
だから、大それた作品を作ることや、未来に残るような曲を書くことだけが
ここで言うアーティストの所在ではない。

「こうだと思うんだー」だったり「作りたいー」と言う閃きの様な欲求を、
自分の言葉や、自分の美意識に従って、気軽に表現し続ける事こそ大切なのだ。

その欲求が沸き起こった瞬間の感情や考えを切り取ったものだからこそ、
作品は自分にとってリアルだろうし、ある種の共感も得られるのかも知れない。
まぁ、自分を肯定して、自分の欲求に従順でいること一番の良さは、
心の健康にとっても良いと言う事だ。

つまりここで言うアーティストとは自己を肯定し続ける生き方なのです。
今を肯定することは、ここに連れて来た過去の足取りを、肯定することになり、
そこから広がる未来を祝福できる立場にいれると言うことです。

インプット過多に疲れていたら、小さなものでも、些細なことでも、
自分の中から沸き起こった「外に出たい」と言う欲求に耳を傾けて見ましょう!

と今回のブログの言葉は実は自分に向けたものなんです(笑)。




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