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奇跡の夜。

 前回の続きみたいなタイトルになってしまいましたが、昨日の話です。
昨晩は、
最近参加しているROOTSTRIBE dub septetの公開レコーディングでした。
 場所は渋谷のTHE ROOM。

渋谷駅近くの牛丼屋の地下にある隠れ家的なライブバーでした。
 今回はオープンリールレコーディングといって、
大っきなカセットテープの様なアナログなシステムを使っての一発録り。
ROOM店長の私物だそうです。
 ただどういう仕組みになっているのかは分からないが、マイクは、
最新式の物を使っていた。あくまでも録る音はクリアにって事なのかな?
 そんな新旧機材の融合で録れた音は、臨場感が半端なかったです。

ROOTSTRIBEは現在、
 ベース、ドラム、ギター、鍵盤、フルート、パーカス、ダブミックスの
7人編成。
アフロビート?民謡?ファンク?演歌?クンビア?ダブ?いろんな要素を含んだ
僕にとっていは、かなり挑戦的な活動で、いちパーカッショニストとして
立ち位置を考えながら、その上で自分らしい歌い方で叩く事を目指しています。
 普段叩いている、アフリカンの伴奏パターンの枠では収まらない音楽の中で、
自分のリズムを作り出す。。。
そこに出てくるフレーズ達は、大袈裟に言えば、
僕がジャンベを叩いてきた歴史そのものであり、
聞いてきた音楽、過ごしてきた時間の結果なのであって、
 だからそれを素直に受け止め、変に飾らず、音を聞いての閃きに任すと言うか、
自分の手の赴くままに、叩いてみる!ってゆうのを大切にしています。
 幸い、他メンバーの懐が深いので、その中で自由に叩かせてもらってます。
 そんなこんなで、昨日のライブレコーディングは無事に終わったのですが、
演奏の最後の曲で、2人のお客さんが入って来たのが見えました。
一人は黒人で、モヒカン黒いマスクをして黒いTシャツに黒いニッカポッカ?を
履いた、全身黒人間(笑)。
 実はその彼、ライブ前にお店の前でメンバーと談笑していたら、
その横を通り過ぎて、その出で立ちに「youtuber?」なんて思っていたので、
よく覚えていた。フロアーでも、人一倍よく体を動かしていたので目立っていた。

 ライブが終わると、その彼が真摯に「良かったよ」と握手しに来てくれた。
彼が去った後、「彼タップダンサーらしいよ」と隣の友人が教えてくれた。
「名前は・・・確か、タマンゴ。」と。
「タマンゴ?」
その瞬間、脳内で記憶が16年前に一気に引き戻された。

「いいか、そのCDプレイヤーはタマンゴがくれたものだ」と
16年前に、初めてアフリカの地を踏み、2ヶ月ほど滞在したバマコの下宿先を
旅立つ時に、ルームメイトであり、トラブルメーカーのフォクシーが言った。
 フォクシーは、フランスの空港で偶然出会ったマリ人女性ファトゥの兄で、
マリに着いた初日に、ファトゥに紹介され、一緒に寝食を共にすることとなった。
色々なお世話をしてくれた人物でもあるが、お金に関して欲深いというか、
縁がない男であった。
 紹介してもらった初日、部屋に2人きりになった時に、すぐ部屋代についての
話題になり、つたない会話の中で僕は、
1ヶ月分の部屋代を前払いする事になった。
(今では分かるが、アフリカでは前払い厳禁!)
翌日、フォクシーの姿が見えなくなり、夕方姿を現したと思ったら、
昨日の晩とは見違えるほど元気がなかった。『どうしたの?』と聞くと、
「実は、お金を作れる薬品を買ったのだが、それが偽物だった。。」
「昨日もらったお金は、全て使ってしまった」と・・・。
そんなこんなで、残り1ヶ月を「お金が喉から手が出るほど欲しい」相棒と
過ごすことになった。
 と言っても、彼は決して盗むような事はしなかった。それに機嫌のいい時は、
色んな話をしてくれた。(半分以上わかってなかったけど。。)
で、そうゆう時にフォクシーが自慢げに話す相手がいた。
「ニューヨークに、タマンゴというタップダンサーがいる。彼はお前の寝ている
ベットで寝ていた。そして俺に色んなものやお金を置いてってくれた」
「お前が太鼓上手くなったら、タマンゴと共演するんだ。俺がプロデュースする」
「タマンゴのパフォーマンスは、ハァ〜もう、本当にクレイジーだぞ」とか、
「タマンゴ、タマンゴ」とフォクシーが連呼するたびに、勝手に「濃いめの卵」
を想像しながら聞いてたのを覚えている(笑)。

 でそんなフォクシーと明日でお別れって晩に、案の定お金の話になった。
こちらも、色々な世話にもちろん感謝していたが、
日々のおねだりには対応してたし、その後パリで1週間ほど、日本行きの飛行機を
待たなきゃいけない身だったので、財布事情はギリギリだった。
 その妥協策として、フォクシーの持っていたソニーのCDプレイヤーを
買い取ることにした。(今でも多分タンスの奥で眠ってます。)
 その黄色と灰色のスポーツタイプのCDプレイヤーは
「タマンゴ」という名と共に僕の記憶の奥の方でで眠っていた。

それが「タマンゴ」の一声で一気に思い起こされて来た。

 目の前にいる全身黒尽くめの男に声をかけ、「何から話していいのやら?」
と思いつつも、フォクシーの事を尋ねると、彼の表情が変わった。

こんな出会いもあるのか!正真正銘彼はタマンゴでした。
そして本当にすごいアーティストでもありました。
 
そんなこんなで、帰り道興奮しながら歩いていると、1000円拾いました。

昨日はそんな奇跡の夜でした。
 












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