ご存知の方も、少しは増えてきたかもん?と思うのですが、
今年の頭に「湘南アフリカモン協会」なる団体を立ち上げました。
今年の頭に「湘南アフリカモン協会」なる団体を立ち上げました。
設立から3ヶ月近く経って、少し落ち着いてきたので、
団体設立の経緯や目標などを改めて、紹介していきたいと思っています。
完全に僕から見てきた視点ですが、
湘南には20年以上前から「ジャンベ」の文化がありました。
(そもそも日本にジャンベを持ち込んだのが葉山のヒッピー説もある)
僕が高校3年生の頃、
覚えたてで下手くそなギターで弾き語りをしていた時期がある。
その頃のツレと藤沢駅にギター片手に路上ライブやりに行くと、
たまに南口のローターリー前で4〜5人で民族楽器を叩く集団がいました。
その時は、「あっ、他の場所でやらなくちゃ」くらいにしか見てませんでしたが、
今考えれてみれば、バランゴマやポレポレツアーなんかをやっている、
大西マサヤくん率いる「藤沢ジャンベ倶楽部」だったんです。
僕の知る限り、それが藤沢で最初に出来たジャンベグループなんじゃないかな?
藤沢という土地柄、柔軟に民族楽器を取り入れ、雑食的にリズムを叩く、
オリジナルで唯一無二な存在でした。
その2〜3年後に僕自身もジャンベと出会い、のちに「おどらせや」という
バンドを組みました(2004~)。やはり雑食的にリズムを叩いてました。
おどらせやとして、湘南近郊で太鼓を叩ける場所を
色々探しました。が当時は若く、夜叩きたい!って気持ちが強く、通報された事も
何度もありました。そんな中、藤沢市内の畑の真ん中にある公園が奇跡的に、
夜まで叩けるという噂を知りました。
早速言ってみると、
メガネをかけたメチャメチャ太鼓の上手いお兄さんがいました。
それが、今「麻はか」でも一緒にやっている山ちゃん。
その当時山ちゃんからアフリカンのリズムを色々教わりました、
山ちゃん自身時々、麻心でやっていたKAZさんのワークショップを手伝い、
横浜のツヨポン、エイコさんなんかとアフリカンバンドをやっていた。
毎日の様に仕事帰りにみんなで公園に集まって太鼓を叩いていて、いつしか
公園は「山ちゃん公園」と呼ばれるようになりました。
その頃にはすでに、
「アフロ湘南」
「イケメンズ」
「七音」
「楽団梵ババへ」
「ガドガド」
「ココス湘南」
など様々なアフリカングループが生まれていました。
時代的にアフリカ推しで、県内で数多くのアフリカンイベントが
行われるようになっていて、2006〜2008年くらいの間に湘南に
アフリカン人口がワーッと増えた時期がありました。
山ちゃんが藤沢でワークショップを始めて、茅ヶ崎ではイケメンズの渉くん、
アフロ湘南もカラモコカマラなどを呼んでワークショップをするなど、
ギニアの伝統的なリズムが湘南に広がり始めた。
2008年僕はギニアにいた。本籍をコナクリに移し、お金が尽きるまで
いるつもりだった。が8ヶ月目に国がストライキに陥り、情勢が悪化する中で、
避難命令が出された。そしてチケットが発行するまでに2週間ほど、大使館で
過ごしたのだが、そこでバングラケツアーに来ていた15人くらいの団体と
一緒になる。その団体を引率していた大久保さん。
彼ものちに茅ヶ崎に引っ越し、太鼓屋さんのような場所に住んでいたので、
全国から湘南に沢山の太鼓叩きたちを集めた。
その当時ギニアから帰って僕は、すぐに山ちゃん公園に行った。
で、練習後山ちゃんが当時参加していたイケメンズに入団しないかと申し出てくれた。
そこで、リーダーの渉くんと出会い、丁度同じ日に入団したのが、
のちに、AFRO-P-NUTSやあらかりさんちで相棒となる佐藤kumachang慶吾、
現在横須賀のドゥニドゥニリーダーゆうこちゃんである。
色んなメンバーで切磋琢磨しながら、イケメンズも形を変えて、
よく一緒に練習するメンバーで「アノヒトタチ」というグループが出来た。
ドラマー、ダンサー総勢10名以上、
当時関西から引っ越してきたばかりの磯部夫妻(当時はまだ未婚)、
都内から越してきた坂元っちゃん、
岐阜に越していったカヤくん、秋田に嫁に行ったテルミン、
アフリカモン創立メンバーのゆうちゃんなど、気がつけば湘南はアフリカンの
メッカになっていた。
月一でドゥンドゥンバパーティーなるギニアのお祭りを再現したり、
満月の日には10人以上集まって、暗い公園でひたすら叩いたり。
そのうち奈良大介さんの呼びかけの元アノヒトタチメンバーで
「湘南カオス」なるアフリカンイベントを自主企画した。
当時は互いのグループ発表会の意味合いが強く、
内輪に向けたイベントであったが、100名以上の来客があったように思う。
それでも発表会的な内容には限界があり、メンバーの出産、子育ての時期もあり、
4〜5年ほどで湘南カオスは自然消滅していった。
しかしありがたいことに、藤沢市は公共機関の練習場所が安価な為、
その後も、それぞれの団体が個々に活動を継続していました。
その間僕自身も、太鼓と共に生きていくために「独りで戦って」いました。
ワークショップの集客を得るために、色んな知恵を絞り、周りのワークを
見ながら「なんでうちは来ないんだろう?」と悩む時期もありました。
他で開催するワークショップが増えるごとに、焦りも不安もありました。
その時の僕は、
アフリカン人口という限られたマスの中だけで考えていました。
その枠を取り払って、
根底から人口を増やすことはあまり考えていませんでした。
何故なら、独りでやるには到底無理でお節介な話なので。
それでも、生活をかけている以上、アフリカン人口を増やしたい。
そうやって「独りで戦っている」状態にふと疑問が湧いた時に、
周りに同じように
「最近新規メンバーが増えない」と悩んでいる仲間が見えました。
それぞれ、自分達の喜びを支えるものを信じて、それを広げたいと思い、
この数年やって来て、ついて来た人、去る人もいて、振り返ってみたら
ついて来た人数はほんの僅か・・・。なんて寂しすぎる!
しかしながら、
湘南界隈のアフリカンの知識や技術は10数年前と比べたら、
格段に上がっている。
ワークショップやYOUTUBEのおかげで情報量が違うし、
何より継続している人がいるからである。
しかしながら現状を見ると、発信者が技術を上げる事だけでは、
(僕なんかは、達人のテクニックを見るとゾクゾクっとしちゃうんですが)
やってみたいと思う人を集めるのにはどうやら限界があるようです。
「何がいけなかったんだ?」と色々考えている時に、
丁度「湘南カオス」をやっていたメンバーと顔を合わせる機会があり、
お酒の席で「湘南界隈盛り上げる為になんかみんなで一緒にやらない?」と
提案したら、意外なほどの好反応。
話は盛り上がり、facebookでグループを立ち上げ、何度かの会議を経て、
ある意味これまでの反省を生かしつつ、
外に向け、アフリカン人口を増やすため、自分達でプレゼンする場、
文化祭みたいなイベント「湘南AFRICAブンカ祭」をやろうという事になりました。
で、イベントを開催するにあたり場所をとったり、
藤沢市からの後援を得る為には
団体登録が必要になり、ブンカ祭実行委員を中心に、
「湘南アフリカモン協会」という団体を立ち上げる事になりました。
と、経緯に差し掛かるまでに長くなったので(笑)次回に持ち越します。
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