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なまり、方言、イントネーション。

 ジャンベを学ぶことは、一つの言語を学ぶようである。
それは、学んでいくその過程と学んだ結果の、二つの点からそう思える。

 中学時代に英語を初めて習った時、そうだったように、
挨拶(コール)などの日常使う言葉(アコンパ)から始まり、
文法(ルール)を学び、単語(フレーズ)を覚え、
それを意のままに話す(ソロ)ところまでが、一応建前上のゴールとなる。
 ジャンベ学んでいく方法も、その過程は言語習得ととてもよく似ている。

見知らぬ土地でも、言葉通じずとも、ジャンベを叩く人とは、
すぐに通じ合えるのは、ジャンベがコミニケーションツールとなっているから。

言語やジャンベを学べば、結果、自分のコミニケーションの幅を広げることになる。

 アフリカ人たちが、声、言語、音、音色全てを同じ「カン」という言葉で
表しているのは、単にボキャブラリーが少ない、とも言えるのかもしれないが、
実は彼らが、これらの意味が全て深いところで繋がっている
という感覚で捉えているからかもしれない。


 さて、僕ら日本人は中学英語で、文法や単語を覚え、机上の論理は理解したが、
実用的な英会話となると、途端に口が重くなったりするものである。
それはきっと日本の英語教育が、「試験」というものに引っ張られすぎて、
コミニケーションツールとしての「他言語を習得する」という本来の?
方向性からずれている処から由来しているのかもしれない。

 中でも言語の持つイントネーションは一番厄介な問題である。

日本語にはない、発声や舌使いがあり、それがどこかくすぐったくも感じる。
顔は純日本人が、ネイティヴ訛りで話すのを見ると、なんか笑けて来るように、
イントネーションには「その言語を習得した」という説得力がある。
 しかしながら、イントネーションは癖を掴むのも、自分の癖を取るのも難しく、
無くても会話の中で、意味は通じるため次第に癖を掴む努力を忘れてしまうのである。

 いわゆる外国人が使う日本語を聞いてみても、「日本人では無い」という事は
直ぐにわかる。勿論話している意味は通じるし、その感じも嫌いでは無いし、
ある意味武器ではあると思うが、外国人感は丸出しである。

 逆に青い目の侍よろしく、外国人に流暢な日本語で、日本文化なんかを語られたら
「あっぱれ」と一歩退くような、説得力を感じる。

そうゆう意味でイントネーションは第2言語習得の最後の砦であるのかもしれない。
しかしながら、子供達が自分の国の言語を習得していく時、基本「モノマネ」である。
その「モノマネ」の中で、自然とイントネーション、ルール、単語などを覚えていく。
親の会話、兄弟の言葉、テレビから流れて来る言葉や音楽、全てには
その言語のイントネーションが含まれている。
「モノマネ」しながら自然に、そのイントネーションに触れ、
単語やルールを学びながら素直にそのイントネーションを吸収している。
つまり
自国の人にとってイントネーションは一番根底に流れている自然な感覚なのである

 何が言いたいかというと、ジャンベでも全く同じところが言えるという事。
同じリズムでも「アフリカ人が叩いてる」「いやいや外国人だ」って分かるのは、
リズムの持つイントネーション=「なまり」が一番の要因であると思う。

 僕自身、初めてアフリカ人の先生に習った時に先生の持つ「なまり」が凄すぎて、
最初、聞き取ることすら困難だった。それでも自分なりに習得して、先生と一緒に
叩いて見たが、何度やっても同じ様に叩ける様になる事はなれなかった。
 しかし、その後何年も続けていくうちに、あの時の原因が「なまり」だった事に
気がついて、ギニア、コートジボワール、ブルキナファソを旅する中で、
各地の先生の持つ「なまり」を出来るだけ吸収しようとした。
ギニアで耳にした「マニンカフィーリング」という言葉。
マリンケの人達が持つ、リズム的イントネーションとでも言うべきか?
自国の人たちもリズム的「なまり」についての認識があるんだと、感心し、
ますますリズムにおける「なまり」の存在を追い求める様になった。
ジュラ族、スス族、バンバラ族、フラ族、バガ族、ボボ族、キシ族、、、、
数多の民族が、独自の言葉を持つ民族であるが、現在
彼らは同様にジャンベを叩く民族でもある(経験の中で僕が見たことある)。
同じ楽器の上、民族の持つ「なまり」で音楽もまた変わる。
 そして「なまり」同様、リズムにも「方言」の様に、
同じ意味が全然違う言葉で呼ばれる事もあるのだと認識した。
 正解は、無数にある。後は好みである。

 ともあれ、日本人でもアフリカ人に「説得力があるな」と思わせる
ジャンベを叩くには、彼らの「なまり」に近づく事であると思う。

 それには、言語同様、ネイティブの人と叩く事。
そこでルールやフレーズを学ぶ中で、出来るだけ素直に「モノマネ」
をして、ルールやフレーズと「なまり」を切り離して考えない事。
 そして、失敗を恐れずに叩いてみる事だと思う。
まぁ、完璧なイントネーションだけが正解ではないのだけど。。

リズムの根底にあり過ぎて死角に入りやすく、説得力の要でもある「なまり」。
僕もまだまだ学んでいきたいと思っています!一緒にどうですか?








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