今日はアフリカンとはあまり関係の無い話。
僕らは、生きて行く上で、毎日色んな世代の人達と過ごしている。
一般的に世代とはその時々の社会情勢や国の教育放心で分けられるようだ。
生まれ年 | 世代名 | 生年月日 | 世代名 | 生年月日 |
---|---|---|---|---|
1910年代 | 大正世代 | 1912年7月30日-1926年12月25日 | ||
1920年代 | ||||
昭和一桁 | 1926年12月26日-1934年12月31日 | |||
1930年代 | ||||
焼け跡世代 | 1935年-1946年 | |||
1940年代 | 全共闘世代 | 1941年-1949年 | ||
団塊の世代 | 1947年-1949年[2] | |||
1950年代 | しらけ世代 | 1950年-1964年 | ||
1960年代 | ||||
新人類 | 1961年-1970年[3] | |||
バブル世代 | 1965年4月2日-1970年4月1日[4] | |||
1970年代 | 氷河期世代 (失われた世代) | 1970年4月2日-1983年4月1日 | ||
団塊ジュニア | 1971年-1974年[5] | |||
ポスト団塊ジュニア | 1975年-1984年 | |||
1980年代 | ||||
ゆとり世代 | 1987年4月2日-2004年4月1日 | 新人類ジュニア | 1986年-1995年[3] | |
1990年代以降 |
(ウィキペディアより)
僕自身、1981年生まれなので、一般的に氷河期世代と呼ばれる世代。
客観的に氷河期世代と呼ばれようが、自分には氷河期に育った認識は無いし
就職氷河期と言われようが、僕らにはそれが当たり前だったし。
が、育った時代の影響というものは、
就職氷河期と言われようが、僕らにはそれが当たり前だったし。
が、育った時代の影響というものは、
本人が思う所以上に他の世代が感じているものなのだ。
他の世代の人達とコミュニケーション取ることで、それは直接伝わる。
挨拶だったり、ゴミの捨て方、車のドアの締め方など些細な所に現れる。
目には見えないが、確かな違いを感じる。
世代は成長し、次の社会を作り、その社会で産まれ育った子供達がまた
新たな世代として産まれ、その世代が成長し、、、、と永遠に繋がるループの
様な、バトンの受け渡しのドラマあり、今に至っている。
バトンの受け渡しの中で、種として少しでも成長している事を願いたいが、
退化?進化?結果はどうあれ、人類には、肉体的、精神的な変化が起きている。
それも最近ものすごい速さで、変化して来ている様に思う。
確かに、社会情勢や教育放心は、人間を形成して行く上で重要な意味を持つ。
しかしながら、人間にとって重要な「道具」が世代に与える影響力と言うものも
計り知れない。(火、刃物、金属、車輪、エンジン、電気など)
人間の歴史の中で、我々人類は何千年もの間、とりあえず衣食住の安定を
目指し、その為に必要な人達と直接関わりながら、自分の半径何百メートルの世界
で生きていた。そしてたまに来る旅人から、その外に広がる世界を聞かされ、
まだ見ぬ世界を想像して「一目でもいいから」と思いを馳せていたに違いない。
そんな時代から現在まで「情報」は、力であり財産であり、
占い師や祈祷師の言葉で
占い師や祈祷師の言葉で
そんな意味で
インターネットの存在が、人類に与えた影響と言うものは、計り知れない。
そして疑問に思う間も無いくらいの急激な早さで、技術は進化し、
インターネットの存在が、人類に与えた影響と言うものは、計り知れない。
そして疑問に思う間も無いくらいの急激な早さで、技術は進化し、
その結果今現在、日本社会の流れは完全にスマートホン中心社会になっている。
人間がスマートホンを持つと言うことは、
自分のもう一つの記憶用の脳みそ持つ様なものであり、
![]() |
「電話番号から映像まで何でも記録します!」 |
遠く離れた人とコミニケーションしたり、鳥瞰図で自分の位置、目的地を
知ったり、イメージを転送すると言う様な
サイキック能力を手に入れた様なものであり、
サイキック能力を手に入れた様なものであり、
その昔、偉人達が瞑想の末、辿り着いていた、
アカシックレコードやアカシャフィールドと呼ばれる、
世界の始まりから、終わりまでの事柄が記してある、図書館の様な場所、境地に、
インスタントに、コネクトできる様になったようなものである。
つまりは自分が知りようもなかったことを、手のひら中ですぐに答えを
見つけられるようになったということ。
つまりは自分が知りようもなかったことを、手のひら中ですぐに答えを
見つけられるようになったということ。
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勿論、スマホも道具なのでその能力は、人間本来の能力とはならない、が、
夜を怯えた人類が火を知って、夜を安心して迎えられる様になった様に、
狩猟民族が農耕技術を知って、来年という概念が芽生えた様に、
エンジンができて、行動範囲が広がったと同時に燃料産業が出来た様に、
道具による人間の本質的な変化を、善とも悪とも言えないが、
その変化で、得られる能力もあれば、失う能力というものもある。
車がない時代、飛脚が2日で江戸〜大阪間を走り抜けてい事実とか、
その変化で、得られる能力もあれば、失う能力というものもある。
車がない時代、飛脚が2日で江戸〜大阪間を走り抜けてい事実とか、
携帯が普及したのちに、「以前はどうやって待ち合わせしてたんだっけ?」
なんて思う事と同じで、
なんて思う事と同じで、
道具の便利さと引き換えに、人間として確実に何かをなくしてる様な、
感覚が鈍って行く様な、野生の感覚を忘れて行くような、
そんな恐怖感もある。
しかし恐怖感を覚えたところで、時間は巻き戻されることはなく、
今やほんの2〜30年前と比べても、世代も社会も確実に変化してきている。
そして今や、生まれた時からスマホが当たり前に目の前にある世代がいて、
そして今後、さらに加速的に技術革新が起こってくると思われる。
種にとっての過渡期(変化の渦の中)というものは、
変化に対応出来る者、変化に対応できない者、変化後の世界に生まれた者達が
一緒のルールで生きる、混乱しやすい時代でもある。
そんな時代に生きる、僕ら氷河期世代には大事な役割がある、
それは、前後の世代の感覚を「つなぐ」ということ。
僕ら以前の世代の感覚、ゆとり、さとり世代の感覚、そのどちらも
何となく分かるのは、青春時代と共にポケベル〜PHS〜携帯〜スマホと
パーソナルな通信手段の変化の渦の中に生きていたこの世代なのだ!
スマホ社会の便利さも、怖さも分かるのは、この世代なのだ!
今やほんの2〜30年前と比べても、世代も社会も確実に変化してきている。
そして今や、生まれた時からスマホが当たり前に目の前にある世代がいて、
そして今後、さらに加速的に技術革新が起こってくると思われる。
種にとっての過渡期(変化の渦の中)というものは、
変化に対応出来る者、変化に対応できない者、変化後の世界に生まれた者達が
一緒のルールで生きる、混乱しやすい時代でもある。
そんな時代に生きる、僕ら氷河期世代には大事な役割がある、
それは、前後の世代の感覚を「つなぐ」ということ。
僕ら以前の世代の感覚、ゆとり、さとり世代の感覚、そのどちらも
何となく分かるのは、青春時代と共にポケベル〜PHS〜携帯〜スマホと
パーソナルな通信手段の変化の渦の中に生きていたこの世代なのだ!
スマホ社会の便利さも、怖さも分かるのは、この世代なのだ!
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